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【ニッポンのものづくり〜唯一残る日本3大発明のひとつ】  2014.5.8(木)

 使ってますよ、「亀の子たわし。」

 100均製品は低品質で嫌いです。

日本3大発明の1つ「亀の子たわし」が100年間も愛され続ける理由

2014年5月7日  ニッポン食の遺餐探訪

26.5.8 亀の子たわし.jpg

 『亀の子たわし』は調理器具を洗う時、欠かせない道具である。

 例えば木べらを洗うときは木目にそって、たわしを動かす。あるいはまな板には包丁によって細かいキズがついているので、そのなかの汚れをかき出すためにたわしが必要だ。

 個人的な話をすると『亀の子たわし』を僕が改めて見なおしたのは、農園から直接野菜を送ってもらうようになってからだった。野菜は鮮度を落とさないために、泥で湿度を保っている。その泥を落とすときに、『亀の子たわし』が非常に役に立つ。

 使っていてあまりにもきれいに土が落ちるので気持ちいいくらいなのだけど、そのあたりの感覚は海外の人も同じみたいだ。

 試しにamazon.com(アメリカのAmazonですね)で「japanese tawashi(kamenoko)」を検索すると、様々なレビューが読めるのだが「Amazing(すごい!)」や「Great scrubber(すごいスクレーバー)」と絶賛されている。野菜を洗うのに、あるいは鋳鉄のフライパンを洗うのに重宝されているようだ。  考えてみれば「亀の子たわし」は純日本生まれ、この形のものは海外にはない。それに当連載で扱うテーマのなかで最もポピュラーなものではあるが、意外と「コアユーザーが料理人」だと知らない人も多いのではないだろうか。

 高品質の日常品を工業的に生産し、低価格で普及させるというあたりにも、日本人らしい〈なにか〉が潜んでいるのではないか、という仮説を立てて、詳しいお話を伺いたいと、年間何百万個と『亀の子たわし』を製造している西尾商店に連絡を入れ「どのようにつくっているのか」と質問してみた。

 対応していただいた広報の石井さんから頂いた答えに驚いた。

「工業的? いいえ、亀の子たわしは刈り揃える工程をのぞき、現在でもすべて手作業でつくられています」

 年間何百万個と製造される『亀の子たわし』は機械的な工業生産品ではなく、人の手によってつくられていたのだ。

なぜ「たわし」が“亀”になったのか?
『亀の子たわし』誕生物語

 西尾商店の本社は北区滝野川の住宅街のなかにある。

 大正期に建てられた近代建築で、創業100年を超える企業に相応しい趣のある社屋を今も守っている。お話を伺った会議室には黒板があって、社内にはどことなく学校のような雰囲気が漂っていた。

「『亀の子たわし』が当社の登録商標だと知らない方も多いんです。なので、よその商品でたまにこちらの名前をつけられている商品を見つけると、メールで『うちのですよ』とやらなければならない。面倒ですけど、しょうがないです」

 広報の石井さんとともに取材に対応してくださったマーケティング部の鈴木さんは言う。

「ところで『亀の子たわし』の成り立ちはご存じですか?」

 というわけで鈴木さんによる『亀の子たわし』誕生物語である。

『亀の子たわし』の誕生は1907年まで遡る。ことのはじまりは初代西尾正佐衛門が発案した靴拭きマットだった。それまでの縄を編んだだけのマットと違い、針金にシュロ(棕櫚)をまきつけたそれは道路が舗装されていない時代、靴についた泥を落とすのに都合が良かった。

 この足拭きマット、はじめは評判を呼んでよく売れたが、体重の重い人が載ったり、何回も使用しているうちにシュロの毛先が潰れて使い物にならなくなってしまうため、その後は期待したほど売れなかった。

「これはいかんなぁ」という折、正佐衛門は妻が返品されてきたマットを切りとり、シュロが巻きつけてある針金を折り曲げたもので、障子のサンを掃除している姿を見た。

「これだ!」

 昔からたわしのように使われていたのは藁や縄を束ねたもの。針金で巻いたシュロなどという今から見ればお馴染みの「たわし」はそれまで存在していなかったのだ。正佐衛門は、掃除道具は女性が多く使うものだから、と妻の手の形にあわせて試作を繰り返した。

 しかし、形は出来たが、名前が決まらない。日がな一日、考えていると子どもが亀と遊んでいる場面と出くわした。

「たわしはカメに似ている。それにカメは水に縁もある。亀たわし、いや、かわいくするために子をつけて『亀の子たわし』というのはどうだろう。亀は万年ともいうし、縁起もとてもいい……というわけです」

──亀に似てるからっていう理由もすごいですよね。外国人の方が見たら、亀だって思うんですかね?

「……いや、思わないでしょうね」

 なぜ、西尾正左衛門はこのネーミングを思いつくことができたのだろうか。『声に出して読みたい日本語』で知られる斎藤孝先生は『ロングセラーの発想力』(ダイヤモンド社)という本の中でこんな風に解説していた。

「おそらく、氏の頭の中は束子のことでいっぱいだったのだろう。そうでなければ普通、カメを見ても束子には見えない」

 ……いずれにせよこういった経緯で『亀の子たわし』の誕生とあいまった訳である。めでたし、めでたし……でも、現実は「漫画はじめて物語」のようには終わらない。その後、正左衛門の西尾商店は『亀の子たわし』を世に送り続けるのだが、その間も様々な出来事が会社を襲うのである。

類似品に苦しまされた日々も 『亀の子』を支えるのは“日本人の目”

「まず、質の低い模倣品、類似品が続出したことです。うちの会社は売上の半分を訴訟に注いでいた、という時期もあったようです。例えばお馴染みのこのパッケージ。外から中身が見えません。(現在は後ろからは見えるように改良されている)買うときに中身が見えない商品というのは普通ありえませんが、こんな風になったのにはそのあたりにも理由があるんです」

 特許侵害に苦しんだ『亀の子たわし』はある時、訴訟で戦うのをやめ、広告による認知の徹底に方針転換する。もう〈品質で信頼を勝ち取るしかない〉と、この時期からブランドとしての『亀の子たわし』が定着し、現在に至るのだ。

「近年では百円ショップなどの登場によって、中国製などの類似品が出回りました。でも……やはり質が低いですね。こんなこと言うのはあんまり好きじゃないんですが、食べ物に近い場所、あるいは食べ物に使える代物じゃないと思います。匂いを嗅げばわかりますよ。粗悪な製品は油臭かったり、薬品臭かったりする。安く売られている製品のほとんどはうちの検査なら通りません」

 ここで、検査の話が出てきたが『亀の子たわし』の品質を支えているのが『検品』だ。パームを原料としたおなじみの『亀の子たわし』はスリランカの工場でつくられているが、検品作業はすべて日本で行われている。

「検査項目は20以上です。例えばこれは尻が割れているのでダメ、あるいはこれは毛が揃ってませんね。これもダメです。えーと、これは……なにがダメなのか僕にもわかりませんが(笑)よくないみたいです」

 作業を担当する目利きの検査を通り抜けた製品のみが出荷されている。検品作業の厳しさは数字にも現れていて「スリランカの職人が交代したりすると300個入っている製品の半分が駄目ということもざらにある」とのことだ。

 見学させてもらった東京工場では、和歌山の工場でつくられている健康束子のシリーズの検品作業中だった。製品を手にとって、右に左により分けていく。そのあいだも繊維の向きを整えたりといった修正作業も行われているようだ。

 向かいの机ではこれも和歌山の工場でつくられているシュロ製の束子「極〆」の包装作業が行われていた。東京でこうした作業が行われていることにも驚くが、品質を支えているのは日本人特有の厳しい目なのだ。

闘う相手は類似品だけではなかった! 使い方を忘れた日本人たち

「あと、みなさんがよく間違っているのは発音です。『亀の子だわし』ではなく正式には『亀の子たわし』です。〈た〉は濁りません」

 鈴木さんが念を押す。

「スポンジは家にあるが、キッチンにたわしがない、という家庭も増えてきました。たわしはなくてもザルって家にありますよね? ザルはスポンジでは洗えません。そのあたりのことをもう少し伝えようと、本社に併設されているショップではディスプレイしています」

『亀の子たわし』を襲うのは類似品との闘いだけではない。使い方がわからない、という消費者が徐々に増えだしているのだ。

「これは情報発信を怠ってきた、我々にも責任があります。たわしってなんにでも使えるので、これまではお客様自身の使い方に委ねていた、という側面があります。ところが家族構成の変化などによってたわしの使い方が伝承されなくなっています。それでいつのまにか家庭の道具だった『たわし』が、業務用の道具になってしまった、というか」

──たしかに。料理屋的にはたわしは必要不可欠な道具なんですよ。

「ああ、それはすごくわかります。このあいだうちに学生さんが見学に来て、その方は中華料理屋で、アルバイトをされていたそうです。で、店主の方に「おい、たわしを買ってこい」とお使いに行かされたんですって。それで、その方は安いものを買ってきてしまったそうです。そうしたら、店主の方に「なんだこのタワシは使えねぇじゃないか」とひどく叱られたと。飲食店の方は『亀の子たわし』の今も昔もコアユーザーです。やはり多少高くても、長く使えるもののほうがいい、ということをわかってくださってます」

──でも、今は料理人でも使い方を知らないというケースが結構あるんです。かつては徒弟制度があって、そのなかで技術継承がなされていましたんですけど、今はそうでもなくなってきました。例えば焼しめの器などはたわしで洗うことで、使いながら育てていくものだったのですが、そういう風に扱われていないことがあります。

「そうですか。器屋さんで一件、うちのタワシとセットで売っている、というところを知っています。やっぱり、手入れの仕方も一緒に売っていかないといけなくなってきた。うーん、今後は使い方も含めてお教えするっていうと偉そうで嫌なんですけど、提案させてもらいたいですね。用途に応じていい製品というのはやはりありますから」

 会社を訪れて驚いたのは製品ラインナップの広さだ。一口でくくるわけにはいかないほど、タワシの種類と用途は豊富だ。

「このシュロたわしはこれまでも生産されていましたが、最近『極〆』(きわめ)という名前をつけてリブランディングしました。これは和歌山の工場で熟練の職人が作っているたわしです。触ってもらえば手触りがまったく違うことがおわかりになると思います。点で洗うパームの『亀の子たわし』に対して、こちらは繊維の腰で洗うものです。面で洗うスポンジとあわせて、使い分けていただければと思います」

 僕が使っていて一番気に入っている製品がこの『極メ』シリーズのシュロたわしだ。これまでスポンジで使い終わったまな板を洗っていた方には是非、一度でも試してほしい。まな板の表面には包丁でついた細かな傷があり、そこに汚れや色素が入り込んでしまうものだが、その隙間をかき出すようにして洗うことができる。

 物を洗うのは面倒なことではなく、本質的には気分がいいことだ。白くなったまな板は気持ちがいい。ホーローの鍋も使うことができるし、テフロン加工のフライパンに使っても問題はない。

「これなんかすごいんですよ。『極〆』のさらに上の品物です。和歌山のその道、四十年の職人が、気分が乗った時だけつくれるそうで、針金が外からまったく見えないつくりになっています。このあいだようやく10個つくって送ってくれたんですが、それでも検品に通ったのは2個だけだったので、まだ商品にはなりませんけど」

 目利きと職人のせめぎ合い。すごい話である。

「和歌山での職人育成も今後の課題です。うちの工場には若い人がいますが、やはり職人の数は減少していますから」

 さて、冒頭の話に戻ろう。ひとつ疑問に思ったのは「どうして、手作業でつくっているのか?」ということだ。

「なんていいますか、手作業でしかつくれないんです。逆に機械化できない、というか。それはつくっている工程を見ていただいたほうがわかりやすいかと思います」

 というわけで、たわしの制作を見学、体験させていただいた。

「たわし作りはとてもシンプルです。針金で繊維をはさみ、巻き込む。それを刈り揃えたものが棒たわしです。それを曲げて、帯縄をかければ亀の子たわしの完成です」

 工場長がすいすいとつくっていく。親指で繊維の束をほぐしながら針金に挟み込むときに、いかに均一にできるか、というところに技術があるようだ。

「繊維は天然のものです。右と左で太さも違います。それを均一にするのが人間の手、指先の感覚でしかできません」

 これまで様々な日本の職人の仕事を見せてもらっているが、そこにはみな共通点がある。それは不均一な素材を人間の手によって整えて、美しいものをつくっていることだ。出来上がったものは繊維が揃っていて、コロコロとしていてかわいい。どこか生き物っぽくも見える。

「針金がついている部分が頭、内側がへそ、丸い部分が尻といった具合に呼ばれています」

 擬人化したような呼び方や、その丸みのある外観も、日本らしさなのかもしれない。ひとつ試しにつくらせてもらったが、繊維を均一にならすことができず、針金が見えてしまった。

「簡単そうで、実際シンプルなつくりで、でもやってみるとなかなかできない、というところがいいんですよ」

「二股ソケット、ゴム足袋、亀の子たわし」 日本3大発明で唯一今も愛される

 先述のAmazon.comのレビューのなかで「自分はオーガニックの野菜を買っているから、泥を落とすのに便利」というものがあった。

 今後、日本でもオーガニック野菜が広まることで、野菜の泥を落とすために亀の子たわしがまた普及する、という可能性があると思うんですが、と僕が言うと、鈴木さんは「そうなればいいんですけど」と笑った。「そういえば泥を落とす映像をとるために泥付きの野菜を探したんですけど、あれ、なかなかないんですよ。結局、すごい探してようやく百貨店で見つけたんですけど、泥付きの野菜がそこらで売ってないってなんか変な感じじゃないですか?」

 ところで日本の3大発明というのをご存知だろうか? 「ナショナル、松下幸之助の『二股ソケット』」「ブリジストン、石橋正二郎の『ゴム足袋』」そして「西尾商店、西尾正左衛門の『亀の子たわし』」と言われている。二股ソケットもゴム足袋も企業を育てたが、現在は商品として見かけることはなくなった。しかし『亀の子たわし』は今も愛され続けている。 

「うちの主力商品は現在でも『亀の子たわし』です」と鈴木さんは言う。「日本のメーカーでタワシを専門につくっているのはうちを含めて2社だけです。社長の言葉で僕が気に入っているのがあって、それは『うちが『たわし』をつくるのを辞めると、よその品物が一般的にイメージされる『タワシ』になってしまう。だから作り続けなくちゃいけないんだ』というもの。なるほどな、と思って。この本社の建物と同じようにロストテクノロジーかも知れませんが、なかなかおもしろいところのある製品ですよ」

 100年間、1つの商品が会社の経営を支えているケースは本当に稀だし、ましてや「スタンダード」となると限られている。

「最近、新しい商品として『白いたわし』をつくりました。(普通のたわしを)家庭のキッチンに置きたくないという声があったからです。丸い形は技術的には難しかったのですが、いいものがつくれた、と思っています」

 時代は変わり、様々な商品が生まれては消えていった。例えばテレビやオーディオ、パソコンといったものは携帯電話と融合し、スマートフォンに変わった。そうしたなかで『亀の子たわし』という商品が風化しないのは、それが普遍的なものに依拠しているからだ。料理をはじめとした手仕事がなくなることもない。

 人間の手の形は今も昔もそう違いはない。タワシの形が変わらないのは、それが洗うという経験から導き出された必然的な形状だからだ。西尾正左衛門が亀の子たわしを生み出せた理由として、夫婦の愛を挙げる人もいる。「愛」は陳腐化された言葉ではあるけれど、「信頼」という言葉と同じように、やはり普遍的なものだ。

 いろんなものを見失いがちな、変わりゆくスピードの早い時代だ。でも、そうしたなかで100年、変わらない商品をつくる会社は経営において、あるいは人になにかを提供することの根本にはなにがあるべきなのか、といったことを僕らに教えてくれるように思う。

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        ♬ The House of the      Rising Sun

        朝日のあたる家

       Tommy Emmanuel 

       トミー・エマニュエル

 

    2012.11.20

 

 アメリカのTraditional Folk Songに、娼婦に身を落とした女性が半生を懺悔する歌とされる「The House of the Rising Sun(朝日のあ(当)たる家)」という素晴らしい曲があります。

 日本ではアニマルズやディランのものが有名ですが、多くのアーティストがカバーしています。

今日は、少し時間に余裕があったので、この曲をあらためて手持ちアーティスト群による演奏で楽しみました(浅川及びちあきは「朝日楼」)。

 ただし、イギリスのJohnny Handleという歌手の音源がないのが残念です。

・・・・・・・・・・・・・・

 トミー・エマニュエル(1955-)は、オーストラリアのギタリスト。フィンガーピッキングの達人

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