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【原発事故を米軍“準機関紙”はどう伝えたか】

 原発事故を「有事」と捉えるStarrs and Stripes紙と、「平時」での深刻な事態と捉える日本のマスメディアとを比較して分析した有意義な論文だと思います。  シェアさせていただきます。 http://ci.nii.ac.jp/els/110009575989.pdf?id=ART0010027284&type=pdf&lang=jp&host=cinii&order_no&ppv_type=0&lang_sw&no=1401013808&cp

情報化社会・メディア研究 2012; 9: 1-26

原発事故を米軍“準機関紙”はどう伝えたか

Stars and Stripes 紙の報道内容分析から

How did the “Stars and Stripes” newspaper report

about nuclear complex accident?

放送大学情報化社会研究会

震災報道検証プロジェクト

Association for Information Society and Media Studies

Earthquake disaster coverage verification project

キーワード: 東日本大震災; メルトダウン; ヨウ素剤; 星条旗新聞; 自主避難

Received: 2013.3.4

1. 問題の所在

 2011 年3 月11 日午後2 時46 分、マグニチュード9.0 の巨大地震が東日本を襲った。地震によって緊急停止し、混乱に陥った東京電力福島第1 原子力発電所は、高さ15m1)を超える津波に襲われ、全電源を喪失して原子炉を冷却できなくなり、複数の原子炉で炉心溶融(以下、メルトダウン)が起こった。

 その後に起きた水素爆発により原子炉建屋は吹き飛び、大量の放射性物質が飛散、漏洩して、周辺一帯の住民は長期の避難を強いられている。

震災による原発事故は、今日にいたるもなお、きわめて深刻な被害をもたらしている。

 今回の原発事故は、原子力発電に多くを依存してきた国のエネルギー政策や、災害時の対応のあり方などの問題を浮き彫りにした。それと同時に、新聞や放送をはじめとする既存のマスメディアの報道のあり方を厳しく問うことにもなった。

 原発事故の報道をめぐっては、情報が錯綜し、専門家の見方が分かれる中で、政府や東京電力の公式発表に依存した結果、進行中の事態の報道が遅れ、内容も的確さを欠いたのではないかと指摘されている。

 こうした問題の背景には、原発事故の報道によって住民の不安や混乱を引き起こすことに対するマスメディア内部の懸念と躊躇があったという見方がある。だがそうした事情を勘案したとしても、当時の一連の報道は、マスメディアが伝える情報と、マスメディアそのものに対する信頼を大きく揺るがす結果となった。

 本稿では、これまでに指摘されてきた原発事故報道のあり方が、日本のマスメディア固有の問題かどうかを検証するために、日本のマスメディアとは異なる視点を持つ米国防総省のもとにある新聞“Stars and Stripes”(『星条旗新聞』と訳される。以下、S&S と表記)に焦点を当てて、その原発事故に関する報道を分析することにする。

 東日本大震災の発災以降、日本のマスメディアの原発事故報道をめぐっては、伊藤守『ドキュメント テレビは原発事故をどう伝えたのか』(平凡社、2012 年)、遠藤薫『メディアは大震災・原発事故をどう語ったか』(東京電機大学出版会、2012 年)をはじめ、多くの検証がなされている。だがこれまでのところ、この米軍関連紙を取り上げて分析を行った研究は見られない。

 本プロジェクトが試みたS&S の報道分析は、それ自体一定の意義を持つと思われるが、さらにこれを当時の日本のマスメディアの報道と比較することで、マスメディアの本来あるべき姿を検討する一つの手がかりにもなりうると考えられる。

 ここでS&S について簡単に触れると、同紙は米国防総省管轄のもと、世界各地にある米軍基地に所属する軍人やその家族などに向けて情報を提供する、いわば米軍の準機関紙ともいえるメディアである。日本国内にも記者を常駐させ、東日本大震災発災後も独自の視点で報道を行ってきた。

 本稿でとくにS&S に着目する理由としては、(1)読者層が主に米軍関係者のため、事故を起こした原発周辺住民の不安・混乱に配慮した報道を行う必要がなく、初期の段階からより核心に迫った報道ができる可能性がある、(2)ニュースソースとして、米本国および在日米軍関係者にアクセスしやすい立場にあり、米軍が独自に把握した情報が掲載されている可能性がある、(3)記者12 人が常駐するなど、他の外国メディア(新聞社・テレビ局)と比べ、日本国内の取材体制の充実の度合いが高い、(4)米国防総省の管轄のもとにあるとはいえ、編集に関しては一定の自律性を持ち、とりわけ日本政府の思惑とは無関係に原発事故の報道ができる、といった点がある。

 本稿では、上記の点を踏まえつつ、東日本大震災発災以降のS&S の掲載記事を分析し、日本のマスメディアの報道内容との比較を試みることにした。

 以下、本稿の構成としては、まずS&S の設立目的や取材体制について、S&S 編集責任者の見解を踏まえつつ記述し、同紙の持つ性格を明確にする。その上で、発災翌日の2011年3 月12 日から同年6 月1 日までの記事2)について、原発事故そのものの報道や放射能の影響に関する報道、避難の呼びかけに関する報道に重点を置いて分析を行う。そして、そうした検証を軸に、報道の内容が同時期の日本側のマスメディアの報道とどのように異なり、その違いがいかなる要因から生じたかについて、考察することとした。

2. Stars and Stripes の概要

2.1. 設立目的・取材体制

 S&S の報道内容を分析する前に、ここでは同紙の基本的性格や取材体制などを確認しておくことにする。この節の内容は主に、公表されている資料と、2012 年12 月に同紙の東京支局員に行ったヒアリングに基づくものである。

 S&S は、戦地や海外にいる米軍人や軍属に、アメリカ内外の情報を伝えるための新聞であり、その歴史は南北戦争時までさかのぼる。S&S が日本で発行をはじめたのは、第2 次大戦の終戦直後、1945 年10 月3 日で、連合国軍総司令部(GHQ)の委嘱によって朝日新聞東京本社で印刷が開始された。米軍は兵士たちや占領地域の住民への広報媒体として、新聞発行を重視しており、太平洋作戦地域ではフィリピン再占領時に、英字紙「デイリー・パシフィカン」を発行、沖縄占領直後には日本語紙「ウルマ新報」を発行してきた。そして、日本本土進駐に合わせて、「デイリー・パシフィカン」を母体として発行したのがS&S日本版である。

 ただし、こうした新聞発行の目的や歴史的経緯から、S&S を米軍の「機関紙」と捉えるのは当を得ていない。同紙は米国防総省のDMA(Defense Media Activity)管轄下にあり、同省から補助金を得ているが、「報道の自由」(合衆国憲法修正第1 条)が保障された媒体と位置づけられ、そのミッション・ステートメントにおいて、編集権の独立がうたわれている3)。また、1990 年代初頭にはオンブズマン制度の導入も行っている。

 読者層は、米軍人やその家族、軍属、関連業者、米政府関係者などが主で、2012 年会計年度(2011 年11 月~2012 年10 月)の購読部数は、太平洋地域と欧州地域の合計で770万部、戦地である中東地域の配布部数は1,700 万部となっている。また、主に艦船向けのデジタル版が150 万部発行されている(いずれも1 年間の部数を合計したもの)。さらに、オンライン・モバイル版の登録者が約18,000 人いるほか、ウィークリー版が関東、沖縄、韓国で合計2 万部発行されている。戦地や海外にいる軍人の「知る権利」を保障するという同紙の目的から、原則として米国外での発行であるが、米国内の基地、住宅向けにも週刊のダイジェスト版が発行されている。収入は購読料と広告料、それに米国防総省からの補助金である。

 S&S の米国外の取材・編集体制は、太平洋地域(日本・韓国・グアム)、欧州地域、中東地域の3 つに区分されている。このうち、太平洋地域の中心は在日米軍横田空軍基地にあり、太平洋地域の責任者(取材デスクに相当)に加えて、海外全体を統括する編集責任者が駐在している。2013 年1 月現在、太平洋地域の取材部門には20 名がおり、日本に16名、韓国に4 名が駐在している。日本駐在の16 名の内訳は、横田空軍基地に8 名(上記の編集責任者2 名、ウェブ版の編集者2 名、記者4 名)、東京支局(港区六本木)に2 名、横須賀海軍施設に2 名、佐世保海軍施設に1 名、キャンプ・フォスター(沖縄県)に3 名となっている。このほか、東日本大震災発災時には三沢空軍基地にも1 名が駐在していた。

 編集責任者2 名とウェブ版の編集者2 名を除いた12 名の内訳は、軍人3 人、軍属7 人、日本人2 人となっており、軍属はマスメディアでの取材経験を持つ者が中心である。

 取材データは、すべてワシントンDC のヘッドオフィス(本部)に送られ、編集・整理の後に紙面が作られる。ワシントンDC では全体の責任者のもとに、記者4 名が国防総省などの取材にあたっている。

 完成した紙面は、東京支局に電送され、東京支局にある輪転機で印刷される。その後、新聞は空輸で日本国内の米軍基地およびグアムの米軍基地に送られ、基地内の住宅に関しては各戸に配達される。東京支局には印刷、配送、広告、人事部門の担当者など約150 名が勤務しており、業務部門の拠点となっている。

 同紙記者による取材先は米軍基地を中心に、日本の政治・経済に関連した分野など幅広い分野におよぶという。ただし取材記者の数が限られていることもあり、日本国内の記者クラブ・団体には加入しておらず、AP 通信など通信社の配信記事で情報を補っている。

 また米軍司令官などの米軍関係者への取材も、一般のメディアと比べて便宜が図られてい

わけではない。普段から接触する機会あるという有利な側面はあるが、軍事など機密情報も多く、米軍関係者への取材は必ずしも容易なわけではないという。

2.2. 東日本大震災発災時の対応

 東日本大震災発災に際して、S&S はどのような体制を取り、どのような取材を行ったのか。私たちは2013 年2 月に、同紙の太平洋地域の編集責任者(横田空軍基地駐在)に書面で質問を行った。本節の内容はその回答に基づくものである。

大震災そのものに関する報道は、その多くをAP 通信など通信社が配信した記事に依存したという。同紙は原発事故の取材では現地に記者を派遣しなかったために、事故そのものに関しては通信社からの情報を利用せざるをえなかった。そして原発のメルトダウンに関する報道についても、大部分は通信社が配信する記事に頼ったとのことである。

 情報源としては、こうした通信社から配信された記事に加えて、テレビなど日本のマスメディアの報道を日本人スタッフがモニターして、読者に伝えるべき重要性があると判断した報道については引用という形で伝えたという。同紙は、通信社や新聞社などさまざまなニュースソースと契約し、記事そのものに関してはそれらのみを利用している。ただし、ウェブ版に関しては、読者に関係すると思われれば、他のニュースソースのリンクも張るようにしている。実際、震災直後の時期には、入手し得たかなり多数のリンクを張ったという。

 その一方、米軍基地や駐日アメリカ大使館、アメリカの国防総省に関しては、同紙の記者が直接取材しており、米軍として地震や津波にどのように対応したかについては、独自に報道を行った。また原発事故の規模や深刻さについては、アメリカ本国や日本国内の専門家に取材したケースもあり、このことはS&S の紙面の分析からも裏づけることができる。

 原発事故報道に関して同紙が力点を置いたのは、米軍がこの事態にいかに対応したかという点にある。基地の司令官が、軍人やその家族に何を伝えていたか、なぜ各基地の司令官によって情報開示に差があったのか、そうした司令官の言動が基地内の人びとにパニックを生じさせなかったかどうか、さらに、原発事故の直後に出された自発的な避難計画がパニックを引き起こさなかったかどうかに力点が置かれた。

 記事の取捨選択に関して、同紙は米国議会により編集上の独立を担保されており、今回の震災報道や原発事故の報道でも、横田空軍基地駐在の編集責任者2 名が取材体制を決めていた。編集責任者は、日常的にS&S の本部と情報交換をしているが、同紙が掲載する記事について、米軍が何らかの影響を与えることはないという。

 S&S は自主取材の記事であれ、配信された記事であれ、できる限り正確な情報を米国軍人とその家族に伝えるのが使命であり、東日本大震災でも、読者が最も関心をもつ事態の報道に努めたと、編集責任者は力説している。

 原発事故が明らかになった時点で、在日米軍基地内でも艦船の出港などをめぐって憶測や不安の声が広まった時期があり、米軍の動きを中心とする正確な情報を伝える機能が同紙には期待されていたといえる。

3. Stars and Stripes の原発事故報道~発災から10 日後まで

 本章では2011 年3 月12 日の東日本大震災の記事がはじめて掲載されたときから、福島第1 原発の事故が起こり、放射能の被害が拡大することに強い危機感をもった軍関係者の家族たちの国外退避が課題となり、やがて米軍の関心がリビア攻撃へ移っていく3 月21日までの10 日間のS&S 太平洋地域版(以下、S&S 日本版:震災当時。2013 年2 月1 日に太平洋地域版に統合)の紙面を調べた結果を報告する。

 この時期のS&S の最大の関心事は震災直後に発生した原発事故であった。

3.1. 大震災発災直後の紙面構成

 S&S は一般の新聞とは明らかに紙面構成が異なる。たとえば、震災前のある10 日間の紙面構成を見てみると、まず「戦争・軍事(WAR/MILITARY)」面、次いで「国際(IN THE WORLD)」面、「米国内(IN THE STATES)」面などが続き、最後に「スポーツ」面で終わる。世界中に展開する米軍の“準機関紙”として、「戦争・軍事」が冒頭で扱われていることが、一般紙と大きく異なる点である。

 「戦争・軍事」関連の報道を第1 の使命とするS&S に変化が見られたのが、東日本大震災の初期(3 月12~21 日)の紙面構成であった。3 月12 日以降、S&S 日本版では、未曽有の震災と原発事故を受け、1 面から4 面、さらにある日の場合は最大7 面までを、「日本の地震(EARTHQUAKE IN JAPAN)」(3 月12~17 日)、あるいは「日本の大災害(DISASTER IN JAPAN)」(3 月18 日以降)という見出しでくくられる紙面構成となっている。

 この時期のS&S が特別な編集方針で臨んでいたことがわかる。ちなみにS&S の他の地域の編集版(欧州、太平洋、中東、韓国など)では、この時期に同じような特別編集がとられたことはない。

 S&S は、東日本大震災を戦争や紛争に匹敵する、トップニュースとして報じるべき「有事」として捉えていたことがわかる。ただS&S の紙面数は、平日と土曜日が32 面、日曜日が48 面という面建てに変化はなく、全体の増ページはなかった。さらに全紙面における東日本大震災の報道が占める割合も最大で2 割程度であった。広告の出稿数にも著しい変化は見られなかった。「有事」の報道であっても、全体の紙面構成やページ数、広告には影響をおよぼしていないことがわかる。

3.2. 原発事故の第1 報

 S&S に原発事故関連の記事が最初に載ったのは、震災と津波に関する報道と同じく3 月12 日である。 

 この日の「日本の地震」面を仔細に見てみよう。

1 面全体に大きく津波被害の写真があり、その右下に比較的小さな文字で「原子力発電所が緊急停止」との見出しが出ている。2 面は米軍が提供する緊急連絡先、安否確認先などの情報。3 面以降は震災や津波の被害状況を報道している。そして、震災が起きたときの東京の様子、その後の人々の動向に触れて、米軍からの情報として約86,000 人の在日米軍関係者とその家族は無事であり、軍施設に重大な被害はなかったことを伝えている。

 原発事故に関しては、1 面から6 面までを使って報じた東日本大震災関連記事の最後に、「原子力発電所で事故と報道」の小さな記事があるだけである。この段階では、日本のマスメディアが報道した内容と変わらない情報が伝えられている。この記事の中では、枝野幸男官房長官(当時)が記者会見で、「放射能

漏れはない」と言明したことが報じられている。その上で、今後の状況によってはメルトダウンが起きる可能性を示唆しているが、この記事は東京発のAP 通信が配信した記事であり、S&Sが取材したものではない。

この日は、日本国内のマスメディアも世界のメディアも、メルトダウンの可能性を示唆する報道を行なっていた。一方、米軍が原発事故に関する特別な情報を持っていることを示す記事はS&S の紙面にはない。

3.3. 自社記事と転載記事の棲み分け

 原発事故についてS&S に掲載されている記事のほとんどが、第1 報のAP 通信電をはじめとして、ワシントンポスト、シカゴトリビューンといった米系の主要メディアからの転載記事である。これらの記事が伝えるような、原発事故のメカニズムや放射能被害の実態や分析について解説した記事は、国防総省から発表された情報を除いて、S&S 日本支局の独自取材記事の中には見られない。その最大の理由として考えられるのは、同紙の取材チームの層の薄さである。

 S&S 日本支局の取材スタッフは日本全国で12 人(震災当時)と、在日外国メディアでは多いほうとされるが、それでも日本国内の報道メディアに比べてはるかに少ない。S&Sの日本支局は、日本の新聞社の地方支局レベル、あるいはそれ以下でしかないために、時間と労力を要する原発事故の原因究明や被害の実態、今後想定される被害などについての、緻密な取材や、分析にもとづいた 記事は出稿できないのが実情であった。

取材スタッフの数が限られているために、取材でカバーする地域も限定せざるをえなかった。この時期にS&S が独自取材で出稿した記事の発信地は、東京都心、横田、厚木、横須賀、三沢、仙台、福島であり、主にS&S 日本支局や在日米軍関連施設の所在地、あるいは「トモダチ作戦」にしたがって、米軍による救援活動が行われた場所周辺に限られている。震災直後の記事の内容も、たとえば青森の三沢空軍基地での停電の話題や、放射能被害のレベルは退避するほどではないと言明する厚木海軍基地の司令官への インタビュー、原発事故で甚大な被害をこうむった福島からの記事では、原発事故で避難してきた人々が避難した二本松市などで被災者を取材したものなどであり、危険を冒して避難指定区域に潜入して実態を伝えようとするものはない。このように、S&S では、自社記事と転載記事が扱う分野との間で、棲み分けがなされていることが分かる。

この時期のS&S の紙面を読んですぐに気づくのは、震災当事国の日本のメディアからの記事の転載が見られない点である。S&S では日本のメディアが出稿した記事の全文掲載は1 つもなく、S&S スタッフが執筆した記事中に、NHK や共同通信が報じたことをごく一部引用するにとどまっている。写真の使用を除けば、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日本経済新聞など国内紙からの記事の転載や引用は見られない。この理由として考えられるのは、速報性が求められる情報については、NHK やAP 通信と提携している共同通信からの情報だけを利用していたこと、原発事故のメカニズムや放射能被害の分析、予測される被害などに関しては、信頼に足る情報を米軍が持っており、これを情報源としていた、などが考えられる。

 たとえば、米軍が1998 年に決めた、放射能が活発な環境下での安全ガイドラインと、それに関連した国防総省からの情報をもとにした記事(3 月17 日1 面)は、S&S が日本のマスメディアの報道に信頼を置いていなかったのではないかと疑わせるものである。

3.4. Stars and Stripes の原発事故報道の特色

 S&S 日本版の主な読者は、いうまでもなく在日米軍関係者およびその家族であり、彼らが必要とし、関心を持つ話題を報道することがS&S の編集上の基本方針である。

 東日本大震災それ自体の報道に関しては、S&S は対象とする読者の「コミュニティー」の中に犠牲者や行方不明者がいなかったことや、長期にわたって再興不能なほど破壊された軍関係の施設がなかったことで、東日本を中心とする日本の被害に関しては、当事者として取材する必要をあまり感じなかったと推測される。このことも、S&S が取材する対象や内容、カバーする範囲を限定していた要因であろう。

 ところが、3 月12 日に福島第1 原発1 号機が爆発したことによって、この「コミュニティー」も、多くの日本人と同じように、目に見えず体感もできない放射能汚染にさらされる危機に直面することになった。原発事故後の放射能汚染とその影響については、日本人と同様に、在日米軍の「コミュニティー」でも、最も知りたい関心事となった。独自取材の体力に乏しいS&S は、信頼を置く情報源として米系大手通信社や新聞社の報道に頼った。

 ただ、調査対象期間のすべての記事について見られるのは、一貫して放射能被害の影響や拡大の可能性について、冷静に受け止めるように読者に呼びかけていることである。

 そうした中で、S&S 日本支局が原発事故関連で日本のマスメディアとは異なる独自色を際立たせているのは、放射能汚染の被害拡大の懸念が深刻化する中で、在日米軍関係者の一部の家族たちが、米軍の承認を受けて日本から退避する動きを見せるまでの、3 月16 日から18 日の一連の報道においてである。

 3 月16 日付の4 面冒頭の記事では、S&S 日本支局の取材に答えて、厚木海軍基地の米軍司令官が「日本からの退避の判断は 国務省が行う」と明言している。これは前日に厚木海軍基地内のタウンホールに集まった、放射能汚染を懸念する在日米軍関係者の家族たちが

臨んだミーティングで発表された内容を再確認したものであった。

 ミーティングで司令官がまず伝えたのは、「緊急避難計画があるかどうかと問われるなら、それはない」ということだった。そして万一、退避が必要になった場合は、病人が優先され、その次が軍人以外であること。さらに司令官は取材に対し、不測の戦争状態に備えて、常に退避について心構えができていると答えている。「退避の決断は、大使館から出される。

 そこで戦時の計画が実行に移される」(厚木海軍基地のエリック・ガードナー司令官)とある。そして皮肉にも、日本は太平洋地域や朝鮮半島の有事の際に、米軍の家族など非軍人たちが逃れる「避難先」とし、長い間考えられていたことも記事の中で言及されている。

 翌3 月17 日の1 面の冒頭の記事では、国防総省が、「もし日本の今の状況がさらに悪化する事態になれば、86,000 人の米軍関係者らを含めて全員が未曽有の最悪の核の災害に直面することになる」と警告しているとして、福島第1 原発を中心に日本政府が発表する避難指定区域よりも広い、50 マイル(80km)を指定して、その外に避難するよう呼びかけたことを伝えている。さらに駐日アメリカ大使館は在日米国人に対し、50 マイル以内の人は可能なら退避、さもなければ屋内に留まるよう伝えている。そして在日米軍の軍医が、80 マイル以内で救助活動を行った空軍の乗組員たちに、有害な放射性物質に備えて、安定ヨウ 素剤(ポタジウム・イオダイド、ヨウ化カリウム、以下、ヨウ素剤)を服用するようアドバイスしはじめたことを報じている。

 放射性降下物(fallout)への備えについては、前述したように、米軍が1998 年に定めた「放射能が活発な環境での安全ガイドライン」を、同じ1 面の中央に掲載している。そこには、「指揮官・司令官たちが、いかなるリスクが許容できるのかを決定する責任を負わなくてはならない」とされている。

 つまり放射能が活発な現場での米軍の行動指針として、その場でどう行動するかの判断は現場の指揮官たちにゆだねられているということである。即断が求められる緊急事態については、軍の上層部やそれ以上の組織に判断を仰がずに、現場の指揮官が決断の責任と権限が負わされている。

 これは戦時下の軍人の行動規範と同じであって、かつて人類が経験したことのない広範囲に及ぶ放射能汚染の可能性を前にして、米軍関係者はこれを「想定内」として、これに備えた対応が事前に練られているということがわかる。

 3 月17 日の紙面までは、「日本の地震」としていた見出しが、翌日18 日からは「日本の大災害」に変わる。そしてこの18 日の紙面では、在日米軍関係者の家族の第1 陣が、軍の許可により「日本を脱出」した記事が巻頭に載っている。この日以降は原発事故に関連した独自取材は、日本からの退避関連の記事だけとなり、やがてそれが20 日には冒頭の記事がリビア情勢と入れ替わる。21 日の1 面から3 面まで、紙面はリビア情勢の記事で占められ、「戦争・軍事」が最初の数面に来るというS&S の「平常時」の紙面構成に戻っていった。

3.5. 国内メディアの初期の原発事故報道

 ここからは、同期間を含む数カ月間の日本のメディアがどのように原発事故を報じたのか、複数の研究成果から概観してみる。

 新聞とテレビの福島第1 原発事故の報道に対しては、どのメディアも同じような内容の「横並び報道」、政府の発表をそのまま報じるだけの「大本営発表報道」などとする批判がある。NHK 放送文化研究所が行った発災後72 時間のテレビ報道(NHK、日本テレビ、フジテレビ)の検証によると、原発に関する情報量の増減には3 局に共通して3 つの山(1号機爆発、3 号機爆発への懸念、3 号機爆発)があった。報道の推移が似通っているのは、情報が限られているため、政府や東電の記者会見という、同じ時間に同じ情報源から出される情報にもとづいて報道せざるを得ないことが背景にあると分析している4)。

 3 月11 日から17 日までの1 週間のテレビ報道分析を行った伊藤守は、次のように指摘する。原発の冷却機能喪失という事態をいち早く報じながら、その深刻さの認識がテレビの編集者と、そこに出演して語る専門家の双方に欠けていた。1 号機爆発の後もなお、メルトダウンの「可能性」という言説を繰り返し、他の原子炉の爆発も想定される可能性に積極的に言及しなかった。こうしたテレビ報道は、すべてのテレビ局が同じような情報を伝えるだけだったと視聴者にみなされてもしかたないものだったといえる5)。

 新聞報道に関しては、3 月11 日に朝日新聞、読売新聞、日本経済新聞の全国紙3 紙が出した号外では、「巨大地震・津波による被害」、「首都圏も被災」、「福島原発事故」の3 本柱が報じられて、全体をバランスよく報じようとする態度であったとの評価がある6)。12 日の朝日、読売、日経の朝刊1 面の見出しは、いずれも東日本大震災だが、13 日の朝刊1 面では3 紙とも福島第1 原発1 号機の爆発を伝えており、トーンの違いはあるが、この時点で既に「炉心溶融(メルトダウン)の恐れ」との表現が見出しにある。

 メルトダウンの有無については、1 号機爆発直後のテレビ・新聞の報道ではメルトダウンが起きたことをほぼ明言する表現が使われていた。だが時間が経つにつれて、それが「可能性の1 つに過ぎない」とでもいうように表現が後退していく。国立情報学研究所のテレビ・アーカイブシステムを使った調査では、3 月中は頻出していた「メルトダウン」という言葉の報道出現回数は、4 月になると極端に減少、一転して東京電力がメルトダウンを事実として認めた5 月にふたたび増加している7)。

  早稲田大学教育・総合科学大学院の花田達朗教授ゼミによる新聞報道の分析では、3 月12 日から19 日までの8 日間の全国紙3 紙(朝日、毎日、読売)の記事のうち、3 紙とも数にして半分近くが、情報を電力会社および政府・行政から得ている、いわゆる「大本営発表報道」であった8)。この結果について、「むしろそれと同程度には他の取材源からの記事が多かったことの方が目を引く。情報が電力会社や政府・行政に集中している事故直後の時期にもかかわらず、他の情報源にも当たって紙面を構成していたことがうかがえる」としている。一方、震災後1 カ月間の同じ全国紙3 紙に掲載された、福島第1 原発の半径20km圏内で撮影された写真の多くが、東京電力や原子力安全保安院から提供されたものであり、新聞社のカメラマンが原発事故現場に近づいて撮影したものではなかった、と分析している。

田中幹人らは、震災後3 カ月間の朝日、読売、日本経済、毎日の4 紙の1 面に掲載された記事の同質性を数量化して分析した結果、全報道、震災報道、原発報道の「何を話題にしたか」というレベルでは「横並び報道」が認められるとしている。その一方、「今後の原発利用に対する意見」について「どう議論したか」というレベルでは、各紙ごとの論調の違いがあったとしている9)。

 「横並び報道」の大きな要因として、原発事故発生後の早い段階で原発周辺への立ち入りが困難になったことがある。政府は当初3km 圏内(3 月11 日21 時23 分)の住民へ避難を指示、その範囲を10km 圏内(12 日5 時44 分)、20km 圏内(12 日18 時25 分)と順次拡大した。朝日新聞社は12 日、社員の安全を確保するために、政府指示よりも広い原発から半径30km 以内に近づかないことを決定した。記者からは30km 圏内での取材を望む声や、多くの住民が残っている状態で避難することへの疑問の声もあったという。NHK や共同通信社も同様に30km 圏内での取材を制限していた。しかし「ただちに人体に影響はない」といった政府発表をそのまま報じたメディアが、住民や読者に説明もなく自社の記者を退避させたことは、「ダブルスタンダード」との批判を受けた10)。

 こうした事故当初の報道の積み重ねの結果、仔細に見れば、各社ごとの相違点もあり、多様な情報源からの取材が行われているにも関わらず、どのテレビ局、どの新聞も同じような、東京電力や政府の発表どおりの内容しか報じない「大本営発表」との印象が多くの視聴者・読者に強く残ったといえる。

4. 放射能の影響をどう伝えたか

4.1. 在日米軍および災害支援活動中の艦船への影響

 本章ではS&S が、福島第1 原発事故の放射能による影響に関して、主に在日米軍について行った報道を概観する。

 放射能の拡散などの被害情報について、S&S が日本国内メディアと比べて多くの情報を得ていたわけではない。ただし米軍動向については、独自に取材した報道が多数見られる。取材源である米軍からは一定の取材上の制約を受けていた可能性があるが、同紙の読者層の知る権利を最優先に、事実に即した報道がなされている。

 在日米軍に関する放射能関連の記事は、3 月15 日付7 面でS&S 独自記事として太平洋上で災害支援活動中の第7 艦隊が汚染を受け、海軍が退避行動をとった旨を報じたのが第1 報である。

 低レベルの放射能汚染が、大気中や仙台近郊で救援活動中の3 機のヘリコプターの搭乗員から検出され、艦船と航空機を福島第1 原発から離れた場所に退避させた動きを報じたものである。また、同じく支援活動中だった第3 艦隊の空母ロナルド・レーガンに乗艦中の大尉によるフェイスブックの書き込みを紹介し、検出された放射線量は非常に低いことを伝えている。

 わずかな放射線が測定されただけで艦隊が退避したことは、米軍が原発事故直後から放射能汚染について警戒していたことを示すといえよう。米海軍の艦船では、船体に付着した放射性物質を海水で洗い流す装置などが通常の船舶よりも整っている。放射線のレベルが低いのであれば、災害支援活動を優先させるために退避しないという選択肢もあったのに、米軍が乗組員への健康に配慮して早い段階で退避させていたという情報は、日本側にとっても、ひとつの判断材料となり得る。

 放射能汚染被害への対応として、可能な範囲で遠くに退避するという行動は合理的である。結果として、退避が必要なレベルではなかったとしても、福島第1 原発の危険性がいまだよく分からない状況では、退避が過剰反応であるとはいえない。日本の新聞やテレビで、「米軍が退避」という事実が大きく報じられていれば、日本政府の避難指示への対応について、世論から大きな批判が出た可能性がある。

 空母ロナルド・レーガンはヘリコプターの中継拠点になるなど、米軍による支援活動の中核となっていた。それが放射能の影響を避けるために影響圏外へ退避した事実は、日本政府の「危険な状態ではない」という発表を、米側がそのまま受け止めてはいなかったことを示す端的な例である。

16 日付5 面では、S&S は独自取材の記事として、横須賀海軍施設に入渠していた空母ジョージ・ワシントンの艦上をはじめとして、在日米海軍の東京エリアにある基地内で、放射性物質を検出したことを報じている。さらに東京エリア以外の基地についても取材し、静岡県のキャンプ富士では放射線レベルに変化がみられないことを伝えたほか、東京都の横田空軍基地、神奈川県のキャンプ座間でも変化がないことを取材し報道している。その上、神奈川県内陸部の航空基地である厚木海軍基地内では、「原発事故により横須賀と厚木できわめて低いレベルの放射線が検出された」とし、「この放射線量は胸部X 線検査と同レベルだが、最大限の安全を見積もって、室内に留まり、換気装置および窓を閉じるよう」に、基地内放送で呼びかけが行われたことが報じられている。

また同日付2 面では、これもS&S 独自記事として、放射能汚染物質の拡散がアメリカ本土に達するというネット上の「噂」について否定し、冷静に対応するように呼びかけた。同時期の共同通信の17 日ワシントンDC 発の配信記事11)を見ると、米本国で原発事故に対する危機意識が高まっていることがうかがえ、これに対応した記事とも読み取れる。

 日本政府が避難の呼びかけに消極的だった一方で、在日米軍は軍人ならびに扶養家族などに自主的避難の指示を行い、国外避難への体制を整え、災害支援艦艇を「低放射能汚染」海域から即刻退避させた。ちなみに、駐日アメリカ大使館の英語版ウエッブ・サイトでは、ジョン・ルース駐日大使が17 日、日本に居住する米国市民に対して、福島第1 原発から「80km 圏内からの避難勧告」をしたという内容が掲載されている。

 17 日付以降のS&S では、放射性物質の検出に関連する新たな記事は見られない。以後は放射性物質の検出によって発せられた「自主避難」についての報道が、これに代わっていくが、放射線の影響に関しては、日本国内のメディアと同様に健康上、問題がないレベルであることを伝える内容が継続的に紙面に載っている。

 だがこの時期、福島沖で活動する艦船では、放射能の影響にかかわる動きが断続的にあった。23 日付2 面では、強襲揚陸艦エセックスで行われた海軍の放射線防護隊員らの活動を、海軍提供の写真を用いて紹介している。また、24 日4 面では、空母ロナルド・レーガン艦上からS&S の記者が送稿した記事で、同艦が除染のため、東北沖での救援活動を停止したことが伝えられている。

 こうした記事を受けた形で、25 日付6 面では、駐日アメリカ大使館の調査により、在日基地内の水道水が安全であることが報じられた。そしてこの時期を境に、在日米軍基地内や、行動中の艦船からの放射能検出記事はほぼ掲載されなくなり、S&S が伝えるテーマも、日本のマスメディアと同じような内容に変わっていく。

 S&S では4 月3 日付で1、3 面を使って、原発事故によって生じた放射能の影響が、基地や居住エリアでの生活、さらに米軍の作戦行動にどのような影響があったかを総括している。そのなかで、基地内でも未確認情報が噂の形で伝わったことや、空母が行動を明らかにしないまま緊急出港したことが、基地の人びとや扶養家族たちに不安をあたえ、噂の伝搬を助長したという分析がなされている。

4.2. 放射能関連報道に関する分析

S&S の報道の特色としてあげられるのは、事実の報道もさることながら、米軍を中心とするアメリカの対応について重きを置いている点である。放射能の影響に関する報道でも、関東圏での数値が深刻ではないとする日本政府の発表や、それをそのままの形で報道した日本のマスメデイアの姿勢と大きく異なるわけではない。ただし、米軍や家族をふくめた軍関係者への避難勧告はすみやかに報道された。そして、その後事態の正確な把握ができるにつれて、過剰な反応を抑えようとする姿勢に変わっていった。記事からは、危険が予想される状況の中では、米国市民を危険の可能性からまずは遠ざけ、彼らを守ることを第

1 とした在日米軍の姿が浮かび上がってくる。

放射能あるいは放射線の検出情報を、日本のマスメディアが入手するのは容易ではなかった。その点で、米軍独自の調査網としては、作戦部隊での計測、在日米軍基地内での計測などの手段があり、もし米軍による汚染状況の確認情報がS&S によって報道されていれば、その重要性は日本のメディアにとっても高かったと思われるが、そうした記事は紙面の調査からは確認できなかった。

 それでも米軍が独自に放射能汚染の計測を実施していたことは、S&S の紙面から読み取ることができた。3 月30 日付3 面にはS&S の独自取材として、「トモダチ作戦」の陸上部隊共同指揮官マーク・A・ブリラキス第3 海兵師団司令官へのインタビューが掲載されている。同部隊が展開中のすべての地点で、放射能汚染物質の継続的な監視を行っており、2時間ごとに指揮官に報告されることを明らかにしている。

 行動中の部隊や基地内での放射性物質の検出についての具体的な記述は、第7 艦隊の艦船と、緊急展開した第3 艦隊の空母ロナルド・レーガンに関する記事に限られるが、ここには作戦そのものが機密事項であったことが背景にあるかもしれない。

 展開中の艦船では、放射能汚染物質の検出と同時に災害支援活動を中断して除染活動に入り、乗員にはヨウ素剤を服用させていることが報じられている。そして関東地区の在日米軍基地や、住宅施設では駐日アメリカ大使館からの注意喚起として、外出を控えるようにとの指示が出され、S&S でもこの情報を伝えている。この例のほかに、基地内で出されたさまざまな指示を見ても、日本政府などから公表されていた以上の放射線量に関する情報をもっていた可能性は高い。

 軍の実働部隊に関しては明らかな緊急対応と見なせる行動をとっており、放射能汚染物質に関する認識は、公式発表よりも深刻なものであった可能性が高いと推測される。基地内や住宅施設では「健康に影響がない」と公式に発表しながら、横須賀海軍施設では空母を緊急出港させるという、矛盾した行動をとった。このことから基地隊員や扶養家族らの不安感を増大させる事態となったのである。

 こうした事態を伝えているのが、S&S の4 月3 日1、3 面の紙面である。ここでは「恐怖:噂の抑制が最初の戦い―司令官」という見出しで、基地内での「噂」を抑えるのに苦慮している状況が伝えられた。

 噂が広まった最大の原因は、5 月まで定期修理の予定だった空母ジョージ・ワシントンが突然出港したために、多くの家族たちに、空母は放射能の汚染から逃れるために出港したと受けとめられたと報じている。また施設内の保安要員に対しても、在日米海軍が艦船配備を事前に告知しなかったため、空母によって家族たちを安全な場所へ移送するという「噂」が広がったことを指摘した。

 1 面から3 面を使う大きな記事にしたことは、放射性物質への過剰反応を抑えるために、事実の検証をしておこうとするS&S の姿勢が見てとれる。「噂」が広がったことの影響を最小限に抑え、一連の出来事をその後の教訓とするために、あえて公表すべきと考えた米軍当局の判断が働いていたのか、それともS&S が独自に、検証が必要だと考えたのかは、S&S 編集の独立性との観点からも注目すべき点である。

 S&S 報道を通じて原発事故と、これに対応した米軍行動をみると、われわれの認識以上に米軍は深刻な情勢判断を行っていた可能性が高いといえる。

5. メルトダウンやヨウ素剤をめぐる報道

 本章では放射能の影響をめぐるS&S の報道の中でも、とくに重要と思われるメルトダウンや、内部被曝を抑制するヨウ素剤の配布についてまとめて扱う。「メルトダウン」は事故の深刻さに直結する用語であり、S&S が事故にどのような危機意識をもって報じていたのかを示す材料となる。ヨウ素剤についても健康被害への対策がどのようにとられていたのかを示す重要な情報である。以下に時系列に沿って具体的な記事をみていく。

5.1. メルトダウンの危険性をどう伝えたか

3 月12 日の6 面にはAP 通信の「原発は問題を抱えている」として、原子炉の冷却システムが止まっていることを指摘。原子力安全・保安院の匿名の担当者の話として、冷却システムの停止が続けば、放射性物質が外部に漏れだし、最悪の場合、メルトダウンを引き起こす可能性があることを明らかにしている。

 13 日の3 面にもAP 通信の記事を「原子炉はいまもメルトダウンの危険がある」という見出しで扱っている。「メルトダウン」という単語を横5 段で目立つようにし、記事内では4,000°F(約2,200°C)で燃料棒が溶けることなど具体的な技術的問題も取り上げている。

 S&S はAP 通信のように福島県いわき市の現場や、原子力安全・保安院に担当記者を送り込む人的、時間的余裕はなかったと思われるが、配信記事でメルトダウンの問題を正面から扱う意欲が感じられる。

 14 日もメルトダウンに関わる記事が4 本掲載されている。AP 通信の1、3 面の記事では「部分的なメルトダウンが起きている懸念」を伝え、「当局者はメルトダウンの危険を否定」との見出しで、枝野幸男官房長官が「完全なメルトダウン」を否定していることを紹介している。そして同日4 面の、在日米軍基地の状況を説明する記事では、原子力安全・保安院の情報として、部分的なメルトダウンや放射能漏れによる健康被害の兆候が出はじめていることに触れ、さらに7 面でも、ワシントンポストやロサンゼルスタイムズの記事を引用して、原子炉の危機的状況を説明している。ただしいずれもS&S の記者が直接取材したものではない。

 15 日は1 面で「メルトダウンの脅威が日本の原発で生じている」との記事を載せているが、これもワシントンポストの記事であり、内容も技術的な説明は共同通信の配信記事に依拠している。S&S も原発の状況について独自の情報は得られておらず、もっぱら他の米報道機関の記事に頼っていることがわかる。報道内容も日本の報道機関と大差はない。

 16 日の14 面では経済報道に強いブルームバーグニュースの記事を引用し、「日本の原子力産業はしばらく不安定になる」とし、メルトダウンを回避しようとしている東電を含む日本の原発事業者が過去にもさまざまな不祥事を起こしてきたことも紹介している。

 3 月中はこうしたAP 通信やワシントンポスト、ブルームバーグニュースなどの引用による「メルトダウン」の単語が登場する記事が続く。4 月になると記事は少なくなっていく。4 月27 日には1 面のS&S 独自の記事で「多くの米軍家族が日本に戻る途上にある」として、メルトダウンの危険性があるなかで米軍が出国準備を急いだことに触れているが、原発の危険性から米軍家族の問題へとS&S の報道の比重が移っていることをうかがわせる。

5.2. ヨウ素剤をめぐる報道

放射性ヨウ素による内部被曝を軽くするためのヨウ素剤をめぐっては、いつ配り、服用指示を誰が出すのか、国内の自治体でも議論になった。S&S の記事を見ると、在日米軍内部でも混乱があったことがうかがえる。

 ワシントン発の全体的な原発事故対応の報道の中で、駐日アメリカ大使館が原発から50マイル以内にいるアメリカ市民に対して、可能な限り屋内にとどまるように指示、米軍の医師団が米空軍のメンバーに対して福島原発から80 マイル以内で活動する場合はヨウ素剤を服用するように勧告、というような対策が採られていることが報じられている。

 自主避難を待つ扶養家族や、避難を見合わせて日本に留まっていた扶養家族らを混乱させたのがヨウ素剤の事前配布措置だ。放射性ヨウ素がヒトの甲状腺に蓄積することを防ぐ目的で服用するものだが、在日米軍では各基地で必要量を備蓄しているとして当初、実際の備蓄体制や配布時期などを明らかにせず、妊婦や子供を抱える家族は不安感を募らせた。

 3 月21 日午後、横田空軍基地医療グループのフレッド・ストーン副司令(空軍大佐)などが、ラジオ放送(AFN:米軍放送網、この場合は中波放送)で基地全員分のヨウ素剤を確保していることなどを伝え、予防措置として配布を開始することを明らかにしている。

 また、三沢空軍基地では放射線の影響外であるとして、ヨウ素剤の配布予定はなく、基地内で保管していることなどを明らかにした(3 月22 日付6 面)。原子力推進艦艇が帰港ないし寄港する横須賀海軍施設のある自治体側の神奈川県横須賀市ではヨウ素剤の錠剤と粉末剤のそれぞれを一定量備蓄しているが、この原発事故発生時には配布していない。

 しかし首都圏の米軍基地および米軍住宅地区内では、緊急に配布された。ただし、予防的に服用することは甲状腺を守る効果がないため、指示が行われるまでは服用しないように指示された。この上で、神奈川県横浜市内の根岸住宅施設、同逗子・横浜市内の池子住宅施設および同綾瀬・大和市内の厚木海軍基地内住宅施設では21 日から受け取り可能であり、同座間・相模原市内のキャンプ座間および東京都福生市などにまたがる横田空軍基地の各住宅施設では、その後24 時間以内に配布を可能にする体制をとることが報じられている(22 日付1 面)。

 同時期、各米軍基地を擁する東京・神奈川の両自治体では、市民に対する注意喚起ならびに配布は行っていない。事前配布がはじまった際、軍扶養家族の女性の1 人は、「福島第1 原発の危機が起きたときに配布せずに、いま配りはじめることに疑問がある」としながら、「この配布は、海軍が安全の判断を誤った際に備えるものだと信じている」と語っていたことを報じている(22 日6 面)。

5.3. メルトダウンやヨウ素剤をめぐる報道の分析

 S&S は原発の情報について独自の情報源を持っていたようには思われない。記事はAP通信などの引用が多く、独自性があるようにも思われない。もともと米軍の準機関紙という位置づけで原子力発電所の専門記者がいるわけでもない。それでも日本の報道機関よりも原発の危険性について積極的に報道しているように感じられるのはなぜだろうか。

 「メルトダウン」という単語は日本の報道機関も報じていた。第3 章でも指摘したように、事故当時は頻出していたのに徐々に表現が後退していったとの印象がある。S&S が「メルトダウン」という単語を使用したピークは3 月中旬で、4 月になると下がり、5 月にはほとんどゼロになる。これは日本国政府や東電の発表をもとに「可能性のひとつ」として使用しなくなったのではなく、ニュース性の判断だと思われる。日本政府および東電がメルトダウン状態だったことを認めた5 月中旬以降に再び「メルトダウン」という単語の使用

回数が激増する日本の報道機関とは異なる。

 日本の報道機関は独自に原発内部の状況を調査できず、情報は政府や東電に頼らざるを得ない中で、メルトダウンが起きていることを断定できなかった。「可能性の1 つ」という発表に沿った「正確」な表現になっていくのは、読者や視聴者に過度な不安を与えないように配慮した可能性もある。S&S は独自の情報源はなかったが、読者が米軍関係者に特定されていることもあり日本の報道機関のような配慮は不要だったと考えられる。そもそも冷却システムが一定時間止まればメルトダウンが起きるのは当然の結果だ。メルトダウンが起きているかどうかということに焦点を当てた記事を出すよりも、米軍関係者向けに基地の詳しい情報を載せることを優先していったと考えられる。

 ヨウ素剤の報道では、在日米軍もいつ配るべきか苦慮したことがうかがえる。服用時期の判断が難しく誤って服用すれば副作用の危険もあるため慎重な判断が求められ、事故直後には配布できなかったとみられる。米軍関係者の不安に応えるため3 月21 日から「予防的措置」として配布したことは、最後まで配らなかった基地周辺の自治体の対応と対照的だ。S&S は米軍関係者向けの新聞だけに、軍扶養家族の女性の不満の声を掲載するなど、読者の視線に立った報道がなされている。日本の報道機関は軍扶養家族にヨウ素剤の配布について取材することは難しいため、S&S の情報は日本側にとっても参考になる。米軍が予防的措置とはいえヨウ素剤を配り始めたことが日本の報道機関でも当時取り上げられれば、国内でも配布に踏み切る自治体が広がった可能性がある。

6. 避難の呼びかけをめぐる報道

6.1. 放射能検知で急展開した避難の動き

 本章では、S&S が米軍による「自主避難」に関してどのような情報提供を行ったかについて、見ていくことにする。

 日本に居住する米国市民に対する避難については、3 月12 日午後に発生した福島第1 原発の爆発後も特別な避難体制は取られなかった。しかし、同15 日に神奈川県横須賀市内の在日米軍横須賀海軍施設内で放射能を検出したことから、一転して、17 日に米国防総省から「自主避難」指示が出された。これにより、在日米軍・軍属ならびに政府関係者らの扶養家族(以下、扶養家族)およそ1 万人が、4 月中旬までに日本を脱出した。このうちの約7,800 人が軍の支援を受けた避難であった。

 米国務省はこれとは別に駐日アメリカ大使館を通して、日本に滞在中の米国市民のチャーター便による帰国の支援を行っている。避難先は全米50 州全域におよび、4 月15 日に米国防総省が自主避難解除の指示を出した以降も多くの自主避難者が数カ月に渡って日本に戻れない状況が続いた。

 発災以降、続いていた福島第1 原発での放射能漏れに加えて、3 月12 日午後の爆発事故後も日本在住の官民扶養家族に対する避難指示は出されなかった。この時期、AP 通信電で原発周辺住民の避難状況を報じている(14 日付1 面)。また15 日付でも、アメリカ太平洋軍(USPACOM)トップのロバート・ウイラード太平洋軍司令官(海軍大将)が、避難の必要性を否定(15 日付5 面)し、翌16 日付ではエリック・ガードナー厚木海軍基地司令(海軍大佐)が緊急避難計画の存在を否定した(16 日付4 面)。福島第1 原発から130マイル離れていることから首都圏の基地ならびに居住者は安全だという主旨であった。

 しかし実際には15 日午前6 時、福島第1 原発で3 機目の原子炉爆発(4 号機の水素爆発)が起きた。その1 時間後、午前7 時に横須賀海軍施設に入渠中の原子力空母が放射能値の上昇を検出し(16 日付5 面)、事態は一変する。在日米海軍自らの手で放射能の拡散を確認したことを受けて、17 日付のワシントンDC 発として「国防総省が原発事故で多数の軍人軍属が被害に直面する恐れ」を報じ(1 面)、同日17 日に国防総省は自主的避難プログラムを発表した。これにより、一気に日本国外避難に向けての体制が取られたのである。

 そして18 日には、アメリカ空軍は被災地域から大型の無人偵察機RQ-4 グローバル・ホークをアンダーソン空軍基地(グアム島)に撤退させた(19 日付5 面)。発災直後から情報収集を開始していたとみられ、日本政府にも画像情報などを提供していたことが報じられている。

同機は通常、北朝鮮の核兵器開発の監視任務にあたっているとされる。この時期、12 日午後には1 号機、さらに14 日午前には3 号機が相次いで爆発しており、米政府側も福島第1 原発の事態がどこまで悪化するかの判断を迫られていた。

 米空軍は偵察機による情報収集で事態の推移を監視しており、福島第1 原発の事故の深刻さを把握していた。これに加え、在日米軍の中でも海軍、原子力推進艦艇を扱う部隊が東京エリアで最初の放射能を検出したことで、米政府は「最悪の事態」に備える必要性があると判断した。

6.2. 国防総省が民間人の国外避難を主導

 この後、自主避難便が出発する東京都の横田空軍基地、神奈川県の厚木海軍基地ならびに青森県の三沢空軍基地の扶養家族らに対しては、在日米海軍のフェイスブックを通じて避難情報が伝えられはじめ、首都圏・東北エリアの各基地では関係家族が脱出便に搭乗するために集まりはじめる。S&S でも自主避難便に関する情報を連日報じる体制を敷き、3月18 日付「日本脱出」(1 面)、同19 日付「米国家族が脱出準備」(1 面)と大きく報道している。

 避難対象となったのは日本国内(本州全域)に居住する軍扶養家族と民間扶養家族で、国防総省側が出発便の準備・調整を行い、移動・滞在にかかるすべての費用を負担した。輸送手段を持つ航空部隊基地からの便を求めて、脱出を希望する多くの民間人が、横田・三沢両基地の出発ゲートに集まってきていた。こうして19 日午後5 時、最初の避難便が横田空軍基地から離陸し、233 名がワシントン州シアトルに向かった(20 日付3 面)。

 S&S でも、実際の避難方法についてQ&A を掲載したほか(20 日付5 面)、21 日付の紙面では、各基地でタウンミィーティングが開催され、太平洋軍トップをはじめとする高級士官らから自主避難の概要がレクチャーされたことを伝えている(21 日付5 面)。脱出希望者たちは、いわば着の身着のままで集まったが、軍側には定期便を避難者に割く余裕はなく、米国内の航空会社も手配しての対応を迫られた。こうしておよそ1 カ月の間に約1万人が日本国外へ避難した。

 国防総省から避難解除が指示された4 月中旬以降、6 月に入っても5,000 人もの帰国できない家族が生まれていた(6 月1 日付)。

6.3. 沈静化に努める在日米軍 国防総省との温度差

 国防総省による自主避難プログラムが発表された半面で、同時期に在日米軍ならびに駐日アメリカ大使館は日本に対する支援作戦「トモダチ作戦」を展開しており、扶養家族に対する自主避難とは相反するような作戦行動がとられた。S&S の報道では、在日米軍高官らは一貫して緊急避難の必要性を否定しており、4 月に入ると、なるべく早く日本に帰還するようにコメントを出している。また投書を紹介する形で、自主避難を「有給帰国休暇」(3 月30 日付1 面)などと批判する記事も掲載された。

 三沢空軍基地では3 月20 日(日)、戦闘航空団司令のマイケル・ロスタイン大佐が基地居家族にむけて、3 カ所でタウンミィーティングを開催し、およそ1,100 家族が登録した自主避難を2 週間から1 カ月をかけて行うことを伝えた。この戦闘航空隊はF16 戦闘機部隊を擁しているが、三沢空軍基地が救援活動で中心的役割を発揮しているために、戦闘部隊の訓練ができなくなっていること、さらに部隊員を残したまま家族を米本国へ送らなければならないという事態に直面していたことを報じている(21 日付5 面)。

 このためにF16 戦闘機の訓練地が別に必要となり、同記事はまた、パイロットの技量維持と整備のために韓国などで訓練を再開する方針を示し、日時は決まっていないとしながら、「2 週間から1 カ月のうちに行われる三沢空軍基地居住者の米国への自主避難が済めば飛行隊は展開する」とも伝え、3 月20 日の時点で、1,100 家族が自主避難に登録しているとして、避難準備が進んでいると述べている。

 この自主避難は1 カ月で日本に戻る計画であるとされたが、基地内小学校のスコット・ステリー校長は、「30 日以内に戻れる保証はなく、米国で直ちに転校手続きを取るべき」だ。なぜなら「児童には教師が必要なのです」と訴えたことを紹介した(同)。

 計画では避難する家族は30 日以内に日本に戻るとしているが、三沢空軍基地は福島第1原発から遠いためこれは放射能による被害への警戒からではなく、震災による被害が深刻で復旧に時間がかかり、基地での訓練再開の見通しが立たないことを想定しているとみられる。

6.4. 足りない避難便と再開する基地内小学校

3 月19 日(土)には横田空軍基地からシアトルに向けた第1便が、233 人の扶養家族を乗せて出発した(20 日付3 面)。さらに、20 日(日)の段階では、首都圏および東北地区の7,900人が軍のフライトを希望する事態となった。S&S はこの時期、福島第1 原発が依然メルトダウンの危機に直面していると捉えており、唯一の避難便拠点であった横田に加えて、厚木、三沢の両基地も加える必要が出てきたと伝えている(21 日付5 面)。扶養家族向けの定期帰国便「パトリオット・エクスプレス」を避難用に振り向けるだけでは足りず、民間機の運航を加えて、27 日までに11 便が準備された。また、三沢空軍基地はもっとも北に

あることから、帰国便の割り当ては最後にまわされた。21 日(月)には厚木海軍基地から第2 便として153 人が出発した。この段階で、避難便に登録したのは8,000 人に増加していた(22 日付6 面)。このため優先順位の高いカテゴリー4 の「妊婦」、次いでカテゴリー3 の「子ども連れの家族」に該当する家族が、長期間、基地内の大型機用格納庫などで出発便を待たされることになった。

 この家族らは、「17 日(木)には切迫感があったが、だいぶトーンダウンした」、「みんなの心が事態の長期化を覚悟する方に傾きつつある」と、疲労感を訴えている(22 日付6 面)。そして「恐怖と家族を守るための離日」を求める声がある一方で、「放射能については懸念していない」(同)という声を、S&S は独自取材して報じている。さらに災害支援の「トモダチ作戦」に従事している横須賀・厚木の基地所属隊員が、軍が扶養家族に対して帰省費用と日当を支給していることについて、「頭がおかしくなってしまう」(同)と述べたと

いう批判の声も紹介している。14 日には三沢空軍基地の小学校が再開(同)するが、22日(火)には厚木海軍基地内の小学校が再開し、日本に残ることを決めた母親が、「私たちは残ることを決めた。その方が100 万倍も良い気がする」(同)と述べるなど、避難の判断が揺らぎはじめたことがわかる記事が掲載されている。

6.5. 何が教訓に残ったのか

 在日米軍も、1 万人単位の扶養家族を国外退避させる事態は想定していなかった。およそ1 カ月間にわたって行われた国防総省による自主避難プログラムが指示された2 日後には、避難の第1 便が出発するという素早い対応だったが、その後の避難便は週数便のペースに留まり、結果として脱出希望者の多くを基地内に留め置く事態となった。

 また、避難便への搭乗希望を受けつけた国防総省とは違って、在日米軍は断続的に避難の必要性がないことを訴えていた。自主避難が指示された後も4 軍を統括する太平洋軍司令が、「緊急避難の必要性なし」(3 月23 日1 面)、「避難は容易ではない」(25 日5 面)などと避難を思いとどまるように訴えている。さらに「安全な場所に留まるべき」の記事では(30 日16、17 面)、避難の選択を迫られた扶養家族コミュニティーが混乱する様子を伝えている。

 そして、「避難生徒を早く学校に戻すように指示」(30 日3 面)や、避難先の「グランドフォーク、ハワイでの避難経費比較」(30 日付16 面)、S&S ウェブサイト(ストライプス・コム)に寄せられた意見として、「自主避難は有給休暇か」(30 日付)、「自主避難で受け取る現金」(31 日付)、そして子どもの避難基準が混乱した結果、「病院の警告で挫折する家族」などの様子が伝えられている(4 月2 日付1 面)。S&S のこうした記事を通しても、福島原発の事故という深刻な事態に対して、同盟国としていかなる態度で臨むかの点で、国

務省と国防総省との間で考え方の違い、それにもとづく対応の違いがあったことが浮き彫

りになる。

 S&S は、4 月17 日付で「国防省が避難家族に日本帰国指示」(1 面)と伝え、あわせて「兵士の危険手当は5 月までに終了」(同3 面)と、実質的に緊急体制が解かれることを報じている。

 自主避難を行った1 万人が実際に日本を脱出するまでに数週間を要した。代替の避難手段の有無については報じられていないが、こうした現状を考えると、福島第1 原発の爆発事故影響がさらに拡大した場合には、多くの被害が生じたことが予想される。

今回のような大規模な民間人の避難手段の確保に関して、米軍にとってもさまざまな示唆が得られたようである。5 月に入ると「在韓米軍に教訓」(5 月22 日1 面、3 面)として、避難家族の受け入れが朝鮮半島有事の際の貴重な教訓となったことを報じている。

6.6. 「自主避難」に隠された大規模作戦についての検証

 本報告は原発事故発生直後の約3 カ月間のS&S 報道を検証対象としているが、在日米海軍を取り巻いていた周辺情勢について触れておきたい。あわせて、日本在住の米国人らを対象とした「自主避難」作戦の全体像について隠された点について指摘しておきたい。

 2010 年末の12 月3 日から1 週間、日本列島周辺全域を演習エリアとして米海空軍と海上・航空自衛隊は3 年ごとに実施している日米合同統合演習「キーン・ソード2011」(注:米国会計年度表記)を過去最大の規模で展開していた。アメリカ太平洋軍(USPACOM)の主力となる第7 艦隊(母港・横須賀)の原子力空母ジョージ・ワシントンがクリスマス休暇と定期修理のために横須賀海軍施設に入渠したのは12 月14 日、翌年5 月一杯までかかる長期間のメンテナンスに入った。これと交代する形で、同第3 艦隊(同・カリフォル

ニア州サンディエゴ)主力の原子力空母ロナルド・レーガンが、米韓合同演習として太平洋西方に展開している。

 一連の「自主避難」の発端となったのは、本報告でも指摘したように、2011 年3 月15日に横須賀海軍施設内などで放射線値の上昇を確認したことだった。この事態を米国政府は重視する。この2 日後、17 日にはバラク・オバマ大統領が、「避難」を発令する状況ではないことを呼びかけると同時に、国防総省は「予防的措置」として日本国内(本州)の米国人に対して「自主避難」を指示した。

 S&S では独自ニュースとして、同17 日付1 面で「最悪の場合」が生じた場合、在日米軍を含む米国人ら86,000 人規模の、きわめて大規模な避難が必要となる「可能性」を、ワシントンDC 発で報じている。この「予防的」措置は、北米全域を担当エリアとするアメリカ北方軍(USNORTHCOM)が主体となる「オペレーション・パシフィック・パッセージ」(太平洋横断作戦)として展開された。同作戦では自主避難民の緊急空輸ならびに受け入れ体制を整えた。さらに、日本に居住している扶養家族を「自主避難」させるにあたっては、アメリカ太平洋軍(USPACOM)のトップが急遽来日して、その直接に扶養家族らのタウンミィーティングを開催するなど在日米軍は万全の態勢を敷いた。

 米軍による非戦闘員避難は、「自主避難」(Voluntary Departure)「正式避難」(AuthorizedDeparture)、「命令避難」(Ordered Departure)の3 段階に分けて行われる。自主避難は原則として自弁で行われ、避難するかどうかの判断は当事者に任される。そして次のステップからは国費負担での避難に切り替わる。今回の発災以降の避難体制は、「自主避難」と位置づけられていたのが、実際には米政府が避難費用を負担しており、当初から「正式避難」に準じる避難レベルで開始されたといえる。

 同時期、米国政府が災害支援作戦「トモダチ作戦」を被災地全域に渡って展開していたことはよく知られている。事実、発災後2 カ月間で、およそ20 カ国・地域と国連組織から緊急援助および医療支援などのチームが東日本の被災地で活動した。なかでも最大規模の災害支援作成を展開したのが米国であったが、そのかたわら米国務省と米軍は、別の大作戦を進めていたのである。

「太平洋横断作戦」では、約8,000 人の扶養家族が米国本土などに避難した。アメリカ北方軍は、連邦緊急事態管理庁(FEMA)などと連携してこの作戦を展開したが、航空機の調達には限界があり、3 月19 日から開始された軍による自主避難便の運航は、最終便が米国内に到着した3 月30 日まで10 日以上の日数を要している。なお同作戦では、放射能汚染がさらに拡大した「最悪の場合」に対応する避難手段が準備されていたと考えるのが自然である。

 「最悪の場合」、対象となる米国人は86,000 人におよび、作戦は単なる避難民の空輸作戦にとどまらず、過去に例をみない規模での「命令避難」、つまり大規模な非戦闘員避難作戦(NEO:Noncombatant Evacuation Operation)に切り替えて発動する可能性があったのである。

 横須賀海軍施設で入渠中だった空母ジョージ・ワシントンは、通常1 月から4 月一杯までが定期修理期間となっている。前方展開中の主力艦は常時1 カ月以内に出港可能な体制を取っているとされるが、発災直後、わずか10 日で出港できる状態にまで戻した。だが核廃棄物の搬出および航空機の離発着装置(カタパルトおよび降着装置)の整備はいずれも途中のままで、固定翼機の発着ができない状態のまま、震災発生後10 日目の3 月21 日午後、乗組員をデッキに並べる登舷礼を省略して緊急出港した(核廃棄物の搬出や着艦訓練は6 月に再開している)。

 不完全な状態の空母を緊急出港させた意図は何だったのか。在日米海軍内でも出港理由・目的地は明らかにされなかった。いずれにせよ、このあわただしい出動によって、横須賀海軍施設はガラ空きの状態となり、居住地区内の扶養家族たちの不安は大きく膨らんだ(3 月24 日付5 面)。艦載機を搭載していない、つまり十分な受け入れ空間を持つ空母を緊急出港させた理由は何だったのか。この事実を知った基地内の人たちの多くが、ベトナム戦争末期、首都サイゴン陥落時のNEO 作戦、すなわち南シナ海に展開した空母を避難船として用いた作戦と同じようなものが開始される可能性を考えたとしても不思議ではない。

 S&S の避難報道にタブーがなかったとは思えない。S&S は一連の自主避難に関する報道で、国防総省からの自主避難指示が出されて以降、連日にわたって詳細な記事を掲載している。その一方で、この避難作戦名が紙面上に現れるのは3 月30 日付16 面の三沢空軍基地発の記事が最初で、実質的に避難便の最終便が運航された直後のことである。しかもこれは、避難を自粛すべしという記事の文脈で触れられている。そして私たちが検証した期間の記事の中に、ふたたびこの作戦名が登場することはなかった。1 万人規模の自主避難作戦の名称の使用を避けなければならない理由があったのだろうか。

 国防総省は4 月15 日に、自主避難計画よる資金補助を25 日で終了する旨を避難中の扶養家族らに伝え、自主避難指示は事実上解除された(4 月16 日付1、3 面)。これに合わせる形で第7 艦隊主力の空母ジョージ・ワシントンが横須賀海軍施設に戻ったのは4 月20日である。およそ1 カ月遅れでの定修入りであった。その後通常の出航をしたのは6 月12日、およそ3 カ月間の震災支援体制を終えて、在日米軍はほぼ発災前の体制に戻った。

7. 考察

 ここまで本稿では、S&S の米軍“準機関紙”としての性格や、その取材・編集体制を踏まえつつ、原発事故をめぐる報道内容の検証を行ってきた。以下、どのような点でS&S の報道が日本のマスメディアの報道とは異なり、それがどのような要因によってもたらされたのかを考察する。

 まず、原発事故そのものに関する事実経過については、S&S は多くを通信社が配信する記事に依存していたこともあり、独自の情報を入手し、報道を行っていたとは言いがたい。

 しかし、情報の「伝え方」は日本のマスメディアとは異なっていた。つまり、日本の新聞やテレビ局の多くが、原発事故の状況、とりわけメルトダウンの可能性について、きわめて慎重な報道ぶりだったのに対し、S&S にはそうした躊躇はなかった。結果から見るならば、2013 年の現段階で判明している事実に照らして、S&S は事態の推移を客観的に伝えていたといえる。

 そうした差異は、原発事故による放射能汚染やその影響、さらには避難の呼びかけに関する報道を見るとさらに際立つ。これらのニュースは、米軍基地の関係者にとっても最大の関心事であったことから、放射能汚染の広がりや米軍基地内の動きについては独自取材も含めて手厚く報道されている。基地内で放射線が検出されたといった情報については、放射線量も含めて事実を詳細に報じられ、また、在日米軍関係者の一部の家族が米軍の承認を受けて日本から退避する動きについても逐一報道されている。基本的な報道姿勢としては、放射能被害の影響や拡大の可能性について、冷静な受け止めを呼びかけているもの

の、基地関係者がとるべき行動の指針となりうる情報を提供していたと言える。S&S の読者層は、主に在日米軍関係者とその家族であり、福島第1 原発の近隣住民を含めた幅広い読者層、視聴者層を持つ日本の新聞社やテレビ局と違って、事故の深刻さを強調しても、住民のパニックなどの混乱を懸念する必要はなかったわけである。

 これはもちろん、米軍の“準機関紙”というS&S の性格によるところが大きい。在日米軍関係者が、有事に際して自らの行動を判断する情報は、米政府から各地域の在外米軍の情報伝達システムを通して伝えられる。それとは別にあるのが数々の米軍が提供する情報であり、S&S はその情報伝達手段の1 つであった。そして、特筆しておくべきことは、東日本大震災によって「想定外」の災害に見舞われ、それに対応する心構えも準備もできていなかった私たちとは異なる情報伝達システムのなかに、S&S の読者がいたということである。米政府、あるいは米軍は、原発でメルトダウンという深刻な事態が起きていることを最初から予測し、自国民と軍を守るために最大限の措置をとった。他方で、日本政府の対応は後手にまわり、マスメディアの慎重な報道もあって、結果として、私たちはそうした情報の流れからは疎外されていたことになる。

 そして、こうした差異は、S&S、あるいはそれを取り巻く米軍関係者が、原発事故を「有事」と捉えるか、「平時」での深刻な事態と捉えるかという考え方の違いによっても生じたものと考えられる。在日米軍関係者は「有事」にいつ臨むかもしれない覚悟のなかで日本に滞在している。勤務地としての日本には一定期間しか在留しない米軍関係者とその家族は、退避すれば、深刻な事態を回避できる存在であるともいえる。S&S とは、「有事」に際しては、いつでも避難するという覚悟ができている者を対象としたメディアであり、そのことが取材、編集方針にも影響しているといえる。

 さらには、S&S が日本のマスメディアの放射能汚染報道に信頼を寄せていなかった可能性も指摘できる。第2 次世界大戦末期に日本に投下した原子爆弾の研究開発以降、戦後冷戦下で核兵器開発や核実験を繰り返し行い、放射線の研究を積み重ねてきた米軍が、放射能の影響に関しては、日本よりもはるかに信頼できる情報源であることに疑問の余地はない。さらに1979 年3 月のペンシルベニア州スリーマイル島の原発事故を経験したアメリカは放射能汚染についてはきわめて敏感である。S&S の報道からは、こうした米軍関係者の考え方が浮かび上がってくる。

 いずれにしても、報道から分かるのは、米軍、そしてその“準機関紙”であるS&S は、東日本大震災とそれに続く放射能汚染被害の拡大を、戦争と同レベルの「有事」と判断し、情報を伝えていたことである。そして、そうした判断のもと、メルトダウンの可能性や放射能の影響について即座に言及し、米軍関係者の避難報道を行った。その姿勢は、結果として、読者にとってより的確な情報を提供していた可能性が高い。

 もちろん、こうした比較だけでは、日本のマスメディアに構造的な問題があり、それが結果として報道の停滞に結びついたと結論づけることは難しい。日本の新聞社やテレビ局には、原発周辺住民のパニックを引き起こさないように配慮することが求められ、政府や電力会社など当事者からの裏づけがなければ報道が難しいといったさまざまな制約がある。

 ただ、水素爆発で原子炉建屋が吹き飛び、複数の原子炉でのメルトダウンが強く疑われた「有事」において、平常時と同じ姿勢や基準で報道することが適切かどうか、S&S の報道のあり方は、日本の原発事故報道に再考を促すものになった。そして、そうした事態を招いた背景には、広く指摘されているように、「有事」に即応しうる専門的な知識や取材上の訓練が十分ではなく、さらには、そもそもどのような事態を「有事」と捉え、どういった体制で臨むかについて準備が不十分だった点があると思われる。

 S&S と日本のマスメディア(新聞社・テレビ局)は、その歴史的背景や報道機関としての性格、読者層や視聴者層、日本社会への影響力などの面で、まったく異なるメディアである。しかし、原発事故をめぐるS&S の一連の報道分析を通じて、日本のマスメディアがどのような問題を抱えているのか、その一端が浮き彫りになったと考えられる。

 本報告は、震災報道検証プロジェクトの有志らが協力して作成した。これまで研究・検証対象にされたことがなかったS&S を対象としたことで、本報告が明らかにした点は少なくなかったと考えている。今後、本報告が研究資料として広く活用されることを願うとともに、本プロジェクトとしても、新たな視点から、この未曽有の大震災、そして、いまだ収束の兆しが見えない福島第1 原発事故の検証を継続していきたい。

謝辞

本稿執筆に当たり、Stars and Stripes 紙には、ヒアリングへの対応や質問への書面での回

答などで協力をいただいた。関係各位に感謝申し上げる。

The Open University of Japan

NII-Electronic Library Service

情報化社会・メディア研究 2012; 9: 1-26

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        ♬ The House of the      Rising Sun

        朝日のあたる家

       Tommy Emmanuel 

       トミー・エマニュエル

 

    2012.11.20

 

 アメリカのTraditional Folk Songに、娼婦に身を落とした女性が半生を懺悔する歌とされる「The House of the Rising Sun(朝日のあ(当)たる家)」という素晴らしい曲があります。

 日本ではアニマルズやディランのものが有名ですが、多くのアーティストがカバーしています。

今日は、少し時間に余裕があったので、この曲をあらためて手持ちアーティスト群による演奏で楽しみました(浅川及びちあきは「朝日楼」)。

 ただし、イギリスのJohnny Handleという歌手の音源がないのが残念です。

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 トミー・エマニュエル(1955-)は、オーストラリアのギタリスト。フィンガーピッキングの達人

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