【うーん】 2014.8.21(木)
鉢村さんとはお話ししたこともあるし、彼の書いた本も読んだので、悪い人とは感じなかったが、これじゃあ困るなあ。
県政は金融・経済だけでなく、総合行政である上に、被曝や汚染水の問題が最重要課題なのに、あまり頭の中に実感がなさそうだ。
(鈴木博喜さんの「民の声新聞」より)
【福島県知事選】「いまは勉強中」~元日銀福島支店長が出馬会見も、被曝回避などの具体策なし
2014年08月21日(木)
自民党福島県連が推す鉢村健氏(55)が21日夕、福島市内で記者会見を開き、10月26日投開票の福島県知事選への立候補を正式に表明した。しかし、「具体的な政策は次回、提示する」と抽象的な話に終始し、「転居準備がある」と足早に神戸市へ戻って行った。肝心の子どもたちの被曝回避策も無し。「いまは勉強中」を連発する、異例ずくめの出馬会見となった。
【目指すは創造的復興】
何を尋ねても「いまは勉強中」「もう少し時間をください」と繰り返すばかりだった。
自民党県連との会合のため定刻より15分ほど遅れて始まった出馬会見。冒頭、深々と頭を下げて遅刻を詫びたが、実行を目指す政策をまとめた資料も無し。「今日の段階では口頭でご説明させてください」「私の考えはこの本(2008年刊、がんばっぺ!福島県-日銀支店長の経済教室)を読んでいただければ分かる」「具体的な政策は次回、改めて提示したい」と話し、日銀福島支店長時代の実績や福島県に対する想いを抽象的に語るにとどまった。
政策の根底にあるのは「創造的復興」と「誇りを取り戻す」だという。
「いま生まれる子どもたちが35歳になる頃、2050年に誇りをもって生きていかれるように、10年、20年、50年先の福島をつくっていきたい」と述べた。
会見中、「復興のヒントを申し上げたい」とポケットから五円硬貨を取り出した。「五円玉には歯車、稲穂、横線がデザインされています。これは工業、農林業、水産業・海運業を表しています。福島県のGDPは約8兆円と大変に大きい。この3つをバランス良く根付かせていきたい」と話した。
「福島県の出発を実のあるものにしていきたい」とも語ったが、最後まで具体策は無し。地元記者から「現職の佐藤雄平知事と何が違うのか」と問われても「現政権については云々できない」と答えるにとどまった。
【再稼働へのスタンス「留保したい」】
会見が始まって45分が過ぎても、子どもたちの被曝回避や除染に関する言及は無し。集まった記者からも質問が出ないため、私は手を挙げた。
「たまたま被曝に関する質問が出なかっただけ」と話す鉢村氏は「原発事故直後から最も大切な問題。お母さんたちは何が正しくて何が正しくないのか、重い十字架を背負わされている。一日たりとも、放射線の話をしない日は無かった」と話した。 「低線量だから大丈夫、という考えではない。一般市民の方々が怖がっているのだから。私自身、放射線を視覚化するガンマカメラを福島に持ってくるなど、県民の方々と闘ったと自負している。想いはたくさんある」 しかし、除染を今後も続けるのか、中通りも含めて被曝の危険性が存在することを認めるのか、子どもたちの被曝回避はどうするのか、まったく触れない。難航する中間貯蔵施設について質問されると「非常にデリケートな問題。相談したい人がたくさんいる。いまは勉強中。もう少し時間をください」と答えるにとどまった。また、安倍晋三首相が推進している原発再稼働に関しても「自民党だけでなく民主党とも他の団体とも様々な方々とお話をしている。どういうスタンスかということは留保させていただきたい」と述べた。
福島県内の原発については「第二原発も含めて10基すべて廃炉にするということが県民の総意だろう。私も同意する」と語ったが、国のエネルギー政策に関しては「水素など新しいエネルギーをもっと考えるべきだ」としながらも「大変デリケートな問題もある」と明言を避けた。
【自民党県連の口説きで出馬決意】
埼玉県浦和市生まれの鉢村氏は1982年、日本銀行に入行。その年の12月には福島支店に配属された。「2年間、福島県内を隈なく歩いた。様々な方にお会いし、育てていただいた」と振り返る。福島支店長に就任したのは45歳の時。3年後、ベトナムに赴任。「中央銀行のアドバイザーをしていた」。
東日本大震災後は日銀に休暇届を出し、福島県庁近くにアパートを借りてボランティア活動を続けていたという。内閣官房審議官、東京電力経営財務調査委員会事務局次長などを務め、2012年10月、日銀神戸支店長に就任した。「阪神大震災後、どのように神戸が復興してきたか学んだ。中に入ってみると光と影、両面ある。神戸と同じように、福島も復興特需の反動か早晩来る。その時の対策を今から考えておかなければならない」。
「元々、知事選に出馬する考えは無かった」と話した鉢村氏。友人らに「頑張って立ってくれないか」と求められたというが、「考えを変えるきっかけを作ってくれたのは自民党県連」と認めた。しかし「私が目指しているのは〝県民党〟。特定の政党や団体からだけ支持を得たいということではない。すべての政党、団体に間口は開けている。幅広い層から支持をしていただきたい」と訴えた。 「原発事故による分断」を強調し「父親は福島に残り、母親と子どもは県外に避難というケースも多い。家族がバラバラになってしまった」とも。「原発災害がなければ心の分断もなかっただろう」とも話したが、肝心の部分になると「これから勉強していきたい」と繰り返した。「神戸に戻って転居の準備をしなければいけない」と1時間ほどで会見を切り上げ、足早に福島駅に向かった。
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8月21日現在、福島県知事選への立候補を表明しているのは、いわき市の五十嵐義隆氏(36)と前宮古市長の熊坂義裕氏(62)の3人。民主党県連の支持する現職・佐藤雄平知事は、9月12日に開かれる県議会で態度を表明するとの見方もある。