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【一徹者】2014.10.14(火)

 会津が生んだ伊東正義さんについての素晴らしい記事です。

 シェアさせていただきます。

 伊東正義さんの略歴はこちら。 http://aizue.net/siryou/itoumasayosi.html

26.10.15 伊東正義.jpg

小林茂さんより

 「世論調査」というより、「世論誘導調査」と看破した小林富久寿さんの論陣へのコメントに会津っぽ伊東正義さんのことが触れられている。  歴史上の人物のようになりつつあるようだが、伊東さんの志の高さは、困難な時にあってこそ、我々が刻んでおくべき生き方ではないだろうか。今、この状況を伊東さんならどう言うだろうか?そう考えながら、次のような駄文をコメントとした。  〈一徹居士こと伊東正義さん。リクルート問題でポスト竹下の総理総裁に擬せられながら、「表紙だけ変えても(自民党の中身が変わらなくては・・・)」と断固、固辞し続けたことを、思い出します〉  〈「表紙だけ変えても」は、この知事選の政権禅譲茶番劇を見ていて、なお一層、志の高低ということを強く思います〉  以下は付け足し。今年6月に伊東正義さんについて、ある方のブログに想を得て書いた一文。 ******  折りに触れて、わが福島の政治家・伊東正義さんを思い出す。鎌倉霊園。長くお世話になった方の墓参りのたび、休憩所からほど近い所にある、伊東正義さんのお墓にも手を合わせるのがならいだった。  311大震災、そして原発事故。この時、伊東さんが健在だったらどのような采配を振るっただろうか?と、考えた。  今、安倍内閣の、歴史を無視した暴政と、それに諫めることすらできない翼賛的与党の有様に、一徹一言居士の貴重を思う。

 宇治敏彦さんという方のエッセー「伊東正義氏の頑固さが懐かしい昨今の政界」(2010年4月24日)を読み返している。その一節を拝借する。リクルート事件の後を受けて総理に擬せられた時のこと、そして、伊東さんの精神の原点たる会津のことなど・・・。

 〈私は堀内(編注・堀内光雄氏=通産相、自民党総務会長など歴任)さんと同様に、伊東さんに総理総裁になってほしいと思った。しかし、竹下、中曽根氏両氏らが議員バッジを付けたままで「表紙だけ変えても」という伊東さんの気持ちは微動だにしなかった。竹下首相の要請を断った直後に伊東さんから手紙をもらった。「拝啓 お手紙拝読いたしました。私の出処進退については種々の批判は覚悟の上、一切弁解はいたしません」〉  〈いかにも会津っぽの伊東さんらしい頑固さだ。以前、講演で会津へ行ったとき、地元の人から会津っぽ気質について説明を受けた。「長州(山口市)の市長さんが『1868年の会津戦争から大分経つので会津若松市と姉妹都市関係を結びたい』と私らの市長に申し出があったのです。だが私たちの市長は『まだ早過ぎる』と断ったのです」〉  〈私は問いかけた。「会津には伊東先生のような白虎隊精神を死守している政治家もいる一方、田中派の渡部恒三先生のような柔軟な政治家もいますね」。すると地元の人は即座に返答した。「渡部先生の選挙区は会津田島ですから。あそこは天領だったのですよ」〉  〈なるほど、同じ会津でも一刻者の生粋会津人と、天領(幕府直轄地)に育った融通無碍な会津人とでは異質だというわけか〉  〈1994年、伊東さんがなくなった後、当然、叙勲の話が出たが、輝子夫人は故人の遺志を体して固辞した。そのときも「『死んでも頑固』余話」というコラムを書いた(同年11月9日、東京新聞、中日新聞朝刊)ら岐阜県国府町で農業をしている木下(きした)行雄さん(当時70歳)から長文の手紙を頂いた〉  〈農林省のエリート官僚だった伊東氏が河野一郎の農相に抵抗して名古屋営林局長に左遷された時の部下だったという。木下さんによると、伊東夫妻は時々、名古屋で旧営林署仲間と会合していた。「ポスト竹下」の要請を受けたときも名古屋へみえたそうで輝子夫人は「そんなもの引き受けたら私は出ていきます」と言っていたという。木下さんの手紙には「本当は自民党が『なってもらっては困る人』と思っていたのでありませんか」とあった〉  〈後日、輝子夫人に聞いた話では「全国から受けろ、受けるなという手紙がたくさんきて、賛否の別に紙袋に保存しておきましたが、ちょうど半々でしたね。伊東をよく知っている人ほど反対でした」という〉  〈政治家・伊東正義も頑固一徹なら、支持者もまた頑固だったのだ。ちなみに伊東さんの戒名は「間雲院正義一徹居士」〉 (以下略)

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        ♬ The House of the      Rising Sun

        朝日のあたる家

       Tommy Emmanuel 

       トミー・エマニュエル

 

    2012.11.20

 

 アメリカのTraditional Folk Songに、娼婦に身を落とした女性が半生を懺悔する歌とされる「The House of the Rising Sun(朝日のあ(当)たる家)」という素晴らしい曲があります。

 日本ではアニマルズやディランのものが有名ですが、多くのアーティストがカバーしています。

今日は、少し時間に余裕があったので、この曲をあらためて手持ちアーティスト群による演奏で楽しみました(浅川及びちあきは「朝日楼」)。

 ただし、イギリスのJohnny Handleという歌手の音源がないのが残念です。

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 トミー・エマニュエル(1955-)は、オーストラリアのギタリスト。フィンガーピッキングの達人

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