メモ【東京第五検察審査会議決書(全文)】2015.8.11(火)
東京第五検察審査会議決書(全文)
平成27年東京第五検察審査会審査事件(起相)第1号
(①平成25年東京第五検察審査会審査事件(申立)第11号、②同第12号)
中立書記載罪名 業務上過失致死傷
検察官裁定罪名 業務上過失致死傷 `
議決年月日 平成27年7月17日
議決の要旨
審査申立人(①事件)
武藤類子 外2名
同(②事件)佐々木慶子 外5734名
両事件審査申立人ら代理人弁護士河合弘之
同 保田行雄
同 海渡雄一
被疑者 勝俣恒久
同 武藤栄
同 武黒一郎
不起訴処分をした検察官東京地方検察庁 検察官検事 佐藤淳
議決書の作成を補助した審査補助員弁護士 山内久光
当検察審査会は、上記被疑者らに対する業務上過失致死傷被疑事件(東京地検平成26年検第22368号、同第22370号、同第22371号)につき、平成27年 1月22日上記検察官がした再度の不起訴処分の当否に関し、検察審査会法第41条の2第1項により審査を行い、次のとおり議決する。
議決の趣旨
別紙犯罪事実につき、起訴すべきである。
議決の理由
第1 検察官の再度の不起訴処分の要旨
1 被疑事実の要旨
被疑者らは、東京電力株式会社(以下「東京電力」という。)の関係者であるが、福島第一原子力発電所(以下「福島第一原発」という。)の運転停止又は設備改善等による安全対策を講じて、大規模地震に起因する巨大津波によって福島第一原発において炉心損傷等の重大事故が発生するのを未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにこれを怠り、必要な安全対策を講じないまま漫然と福島第一原発の運転を継続した過失により東北地方太平洋沖地震(以下「本件地震」という。)及びこれに伴う津波(以下「本件津波」という。)により、福島第一原発において炉心損傷等の重大事故を発生させ、水素ガス爆発等により一部の原子炉建屋・格納容器を損壊させ、福島第一原発から大量の放射性物質を排出させて、多数の住民を披ばくさせるとともに、現場作業員らに傷害を負わせ、さらに周辺病院から避難した入院患者らを死亡させた。
2 再度の不起訴処分(嫌疑不十分)の理由の要旨
(1)検察審査会の起訴相当議決(以下「議決」という。)は、原子力発電所の事業者の役員である被疑者らに、極めて高度の注意義務があるとし、自然現象の不確実性等を指摘して想定外の事態も起こりうることを前提とした対策を検討しておくべきものとしているが、原子力発電所の安全対策においても、どこまでを想定するか、あるいは具体的に何を想定するかを定め、具体的な条件設定をした上でそれへの対策を講じる必要があることは否めない。原子力発電所の特性を踏まえて可能性の低い危険性をも取り上げるべきであるとしても、あるいは自然災害の予測困難性、不確実性等を踏まえて安全寄りに考えるとしても、無制限であるわけにはいかず、可能性が著しく低いために条件設定の対象とならないものがあり得る。したがって、事前にどこまでの津波対策が原子力発電所の安全確保に必要と考えられていたのかを過失認定上問題にせざるを得ず、O.P.(小名浜港工事基準面)十10㍍の敷地(以下「10m盤」という。)を大きく超える津波による浸水を想定すべきであったのかを、その当時の知見を前提に検討する必要がある。
つまり、本件過失の成否を判断するに当たっては、飽くまで福島第一原子力発電所の原子炉建屋において水素ガスが発生した事故(以下「本件事故」という。)後に事故から得られた知見や教訓を抜きにして、本件事故が発生する前の事情を前提として注意義務を課すことができるか否かを判断せざるを得ない。
(2)予見可能性について(地震や津波に関する事前の知見と本件地震・津波)
地震調査研究推進本部(以下「推本」という。)の地震調査委員会による「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」(以下「長期評価」という。)及びこれに基づく最大の試算結果や貞観地震に関する知見を含む当時の地震・津波の知見を踏まえても、今回の事故前の当時において、本件のような10m盤を大きく超える津波が発生し、これにより福島第一原発における主要機器が浸水する危険性を認識すべき状況にあったとは認め難い。
議決は、「東京電力は、推本の予測について、容易に無視できないことを認識しつつ、何とか採用を回避したいという目論見があったといわざるを得ない。」と指摘しているものの、上記のとおり、事故前の当時の知見を前提とすると、そもそも推本の長期評価に基づいて対策を講じるべきであったと認めることはできない。
加えて、東京電力は、最大の試算結果を把握した後、土木学会に対し、推本の長期評価に関する検討を委託しているところ、当該委託は、法令上の安全性が確保されていることを前提として、安全性の積み増し又はその信頼性の向上を図る目的でなされたものであったこと、その委託に平成24年3月23日という期限を定めるとともに、原子力発電所における「原子力発電所の津波評価技術」(以下「津波評価技術」という。)の改訂を委託しており、これが改訂されればこれを踏まえた対策を講じる予定であったこと等からすれば、議決が指摘するように推本の長期評価の「採用を回避したいという目論見があった」とまで認めることは困難である。
(3)結果回避可能性について(原子力発電所における津波対策)
ア 最大の試算結果に対応した措置による結果回避可能性
上記推本の長期評価に基づくO.P.十15.7mとの最大の試算結果に対応する措置としては、 試算結果で津波が遡上することとされていた福島第一原発の敷地(以下「敷地」という。)南側に防潮堤を建設することが考えられる。
これに対し、本件津波は、敷地東側の長さ約1.5㌔㍍の海岸線から、全面的に敷地に越流したのであるから、仮に事前になされていた最大の試算結果に対応して越流する敷地南側に防潮堤を建設したとしても、本件津波は、防潮堤のない敷地東側の海岸線から越流することとなり、本件津波の襲来に際し、その浸水を阻止し、結果を回避できたとは認められない。
イ 浸水を前提とした措置による結果回避可能性その他
本件津波により敷地が浸水したことを前提として、遡って事故を回避する措置を考えた場合には、議決が指摘する浸水を前提とした対策(蓄電池や分電盤を移設し、HPCI(高圧注水系)やSR弁にケーブルで接続すること、及び、小型発電機、可搬式コンプレッサー等を高台に置くこと等の措置)を講じておくことが一応考えられる。
しかしながら、事故前の当時においては、津波に関しては、詳細な指針等が定められていた地震動と異なり、独立した審査指針等はなく、地震の随伴事象として抽象的な基準が示されていたにすぎなかった。また、当時、原子力発電所の津波対策に関しては、一定の想定水位を定め、当該想定水位までの安全性を絶対に確保するという考え方(確定論)に基づいて、安全性が確認されており(事故前の津波評価に関する事実上の基準とされていた津波評価技術は、確定論に基づく考え方である。)、確定論により得られた想定水位を超える確率を算出して、安全性評価の判断資料とするという津波の確率論的評価は、その手法に関する研究が進められていた段階であり、いまだその手法が確立された状況になかったことなどが認められる。これらの状況を背景として、敷地高を超える津波を想定する必要性や、その具体的対策として、本件結果を回避できるような浸水を前提とした対策を講じておく必要性が一般に認識されていたとは認められない。
さらに、実際に本件のような過酷事故を経験する前には、浸水自体が避けるべき非常事態であることから、事故前の当時において、浸水を前提とした対策を取ることが、津波への確実かつ有効な対策として認識・実行され得たとは認め難い。
加えて、仮に、事故前の当時、 本件結果を回避できる浸水を前提とした措置を講じることとしても、HPCI(高圧注水系)等と蓄電池等を接続する等の工事を行う必要があるため、工事期間のほか、原子炉設置変更許可等の所要の手続を経る必要があることから、2年9か月以上を要したものと認められ、被疑者らが最大の試算結果を知った時同等に鑑みると、本件地震・津波の発生までに対策を了しておくことができたとは認め難い。
なお、本件結果を回避できる措置としては、本件津波が越流した敷地東側に防潮堤を建設することも考えられるが、その措置を講じるには3年7か月以上を要したものと認められ、防潮堤についても、本件地震・津波の発生までに対策を了しておくことができたとは認め難い。
議決が指摘する他の措置も検討したが、「長期間を要しない安全対策」については事故を避けることができたとは認め難く、「建屋の水密化」についても、津波の越流に伴う大きな漂流物が建屋に衝突し、水蜜化か維持されないことも想定され、事故を回避できたと認めることは困難である。運転停止については、震災前に10m盤を大きく超える津波の襲来を予測すべき知見があったとはいえないこと等も含め切迫した時期に津波が来る可能性を示す情報や知見もなかったことや法令上の安全性の確保を前提に原子力発電所が稼働していたこと等からすると、あらかじめ原子力発電所を停止するべきであったとは認められない。
(4)結論
以上のとおり、東京電力の役員らに刑罰を科すかどうかという刑法上の過失犯成否の観点からみた場合、本件事故について予見可能性、結果回避可能性及びこれらに基づく注意義務を認めることはできず、犯罪の嫌疑は不十分である。
第2 検察審査会の判断
1当時の知見
(1)業務上過失致死傷罪が成立するためには、被疑者ら各自について、業務上の注意義務に違反した事実が認められなければならない。注意義務に違反したといえるためには、当該結果に対する具体的な予見可能性に基づく予見義務、結果回避可能性に基づく結果回避義務が認められなければならない。
被疑者らの具体的な予見可能性の有無を判断する前提となるのは、福島第一原発に関わる津波についての当時の知見である。以下では、福島第一原発に関わる津波についての当時の知見について見ていくこととする。
(2)推本の長期評価
ア 平成14年7月31日、推本の地震調査委員会により長期評価が公表された。これは、三陸沖北部から房総沖の海溝寄りの領域内のどこでもMt(津波マグニチュード)8.2前後の津波地震が発生する可能性があるというものであった。ただし、長期評価は、その前文において、「今回の評価は、現在までに得られている最新の知見を用いて最善と思われる手法により行ったものではあるが、データとして用いる過去の地震に関する資料が十分にないこと等による限界があることから、評価結果である地震発生確率や予想される地震の規模の数には誤差を含んでおり、防災対策の検討など評価結果の利用にあたってはこの点に十分留意する必要がある。」と記載されていた。
イ 当時、津波評価については、平成14年2月に土木学会の津波評価部会が公表した津波評価技術があり、各電力会社はこの津波評価技術に基づいて津波対策を行っていた。これは、自然現象である津波の評価は、当時の地震学を前提にこれから起こる可能性があると考えられる地震を考慮した余裕のあるものが必要であるとの考え方が反映されたものではあったが、これから起こる可能性があると考えられる地震については、過去に発生した領域で繰り返し同じタイプの津波地震が発生するという考え方によっており、過去に津波地震の発生していない領域については考慮されていなかった。これによれば、福島県沖は、長期評価が指摘するような津波地震が過去に発生したというデータが必ずしもなかったことから、津波評価にお いては考慮されないことになる。
これに対し、長期評価は、過去に津波地震が発生したとされるデータが必ずしも存在していない領域においても津波地震が発生する可能性があるとしており、公表された当時、その取扱いについて意見の分かれるところがあった。前記のとおり、長期評価自体も、その前文では、「データとして用いる過去地震に関する資料が十分にないこと等による限界がある」、「防災対策の検討など評価結果の利用にあたってはこの点に十分留意する必要がある。」と記載されており、その後、平成15年3月24日には、推本の地震調査委員会自体が、長期評価についての信頼度をA(高い)、B(中程度)、C(やや低い)、D(低い)の4段階のランクのうちCと公表していた。
もっとも、土木学会の津波評価部会では、推本の長期評価の取扱いについて、津波ハザード解析の研究の中で検討していたところ、平成16年5月に実施した地震学者への重みづけアンケート調査では、地震学者5名の回答結果の平均が、三陸沖から房総沖にかけての海溝寄りの津波地震の発生に関し、推本の長期評価に基づく考え方が約0.6、津波評価技術に基づく考え方が約0.4というように、推本の長期評価に対する評価の方が上回っていた。
(3)耐震バックチェック(原子力安全・保安院が電力事業者に対し、既設の原子力発電所について新指針に照らした耐震安全性の評価を実施し、報告を求めること、以下「耐震バックチェック」という。)における長期評価の取扱い
ア 平成18年9月19日、原子力委員会(以下「安全委員会」という)が原子力発電所の耐震基準に関し、「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」(以下「旧指針」という。)を改定した(以下、改訂後の指針を「新指針」という。)。そこでは、「地震随伴事象に対する考慮」として、津波について、「施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性があると想定することが適切な津波によっても、施設の安全機能が重大な影響を受けるおそれがないこと」を「十分に考慮したうえで設計されなければならない」とされた。
原子力安全・保安院(以下「保安院」という。)は、それを受け、各電力事業者に対し、既設の原子力発電所について新指針に照らした耐震安全性の評価を実施して報告を求める、耐震バックチェックを指示した。そして、耐震バックチェックに当たっての基本的な考え方となるバックチェックルールでは、津波の評価につき、既往津波の発生状況のみならず最新の知見等を考慮して実施することとされていた。
イ 東京電力では、それまでは津波評価技術の考え方に依拠し、推本の長期評価の取扱いについては、土木学会の津波ハザード解析の研究を待つという対応であったところ、新指針の策定に伴う耐震バックチェックに当たっては、推本の長期評価の取扱いについて改めて問題とせざるを得ない状況になった。
関係者の供述によれば、東京電力の原子力設能管理部新潟県中越沖地震対策センター土木調査グループ(以下「土木調査グループ」という。)では、長期評価に基づいて試算すれば福島第一原発のその時点における想定津波の水位を大幅に上回る高さの津波が算出されることが高度に予想されていたこと、平成19年7月に新潟県中越沖地震が発生した後は、これにより柏崎刈羽原子力発電所(以下「柏崎刈羽原発」という。)の運転を停止しており、それが東京電力の収支を悪化させていたこと、それに加えて、耐震バックチェックにおいて、推本の長期評価に基づく津波評価を行った結果、対策工事を実施すべきこととなった場合には、福島第一原発における津波に対する安全性を疑問視され、最悪の場合、福島第一原発の運転まで停止せざるを得ない事態に至り、そのことが東京電力の収支をさらに悪化させることが危惧されていたことがわかる。
ウ 東京電力は、耐震バックチェックを平成21年6月に終了させる予定でいたところ、平成19年11月ころ、土木調査グループにおいて、耐震バックチェックの最終報告における津波評価につき、推本の長期評価の取扱いに関する検討が開始され、以後、東電設計株式会社(以下「東電設計」という。)との間で津波水位の試算に関する打合せがなされた。そして、関係者の間では、少なくとも平成19年12月には、耐震バックチェックにおいて、長期評価を取り込む方針で進められることになった。
エ 平成19年11月19日、東電設計からは、推本の長期評価を用いた概略的な津波水位がO.P.十7.7㍍以上となる旨の試算結果が出された。
平成20年2月16日に実施された東京電力の中越沖地震対応打合せ(以下「地震対応打合せ」という。)では、土木調査グループから被疑者ら3名にその旨が報告されるとともに、それに関する資料が配付された。
その後、平成20年2月26日、A教授からは、「福島県沖海溝沿いで大地震が発生することは否定できないので、波源として考慮すべきである」旨の指摘を受け、平成20年3月18日には、東電設計から、推本の長期評価を用い、明治三陸沖地震の津波の波源モデルを福島県沖海溝沿いに設定した場合の津波水位の最大値が敷地南部でO.P.十15.7㍍となる旨の試算結果が出された。これは、福島第一原発の当時の想定津波水位であるO.P.十5.4㍍〜5.7㍍を大幅に超えるものであり、このような津波が発生すれば、福島第一原発のタービン建屋に設置された10m盤を大きく超えて浸水してしまうことは明らかなことであった。
オ 平成20年3月20日に実施された東京電力の地震対応打合せでは、耐震バックチェックの中間報告書の提出に伴うプレス発表に関して作成された想定問答集が報告され、津波評価に関して充実した記述が指示され、同月29日に実施された東京電力の地震対応打合せでは、耐震バックチェックの最終報告において推本の長期評価を考慮する旨が記載された修正済みの想定問答集が報告され、了承された。
(4)推本の長期評価の取扱いに関する方針の変更
ア 平成20年6月10日、土木調査グループの担当者は、被疑者武藤栄(以下「被疑者武藤」という。)に対し、資料を示しながら、推本の長期評価を用いた、明治三陸沖地震の津波の波源モデルを福島県沖海溝沿いに設定した場合の津波水位の最大値である、敷地南部O.P.十15.7㍍の試算結果を報告し、合わせて、原子炉建屋等を津波から守るために敷地上に防潮堤を設置する場合には、O.P.十10㍍の敷地上に約10㍍の防潮堤を設置する必要があること等を説明した。
イ 被疑者武藤は、いくつかの検討を指示したが、平成20年7月31日には、土木調査グループに対し、これまでの方針を変更し、耐震バックチェックにおいては推本の長期評価は取り入れず、津波評価技術に基づいて実施するよう指示した。そして、推本の長期評価については土木学会の検討に委ねることとし、その方針について津波評価部会の委員や保安院の理解を得ること等が指示され、平成20年10月には、それらの了解をおおむね得ることができた。
その結果、耐震バックチェックの最終報告をする予定であった平成21年6月の期日は延期されることとなった。
平成20年8月22日、東京電力の土木調査グループは、東電設計から、推本の長期評価を用い、房総沖地震の波源モデルを福島県沖海溝沿いに設した場合の津波水位の試算結果が敷地南部でO.P.十13.6㍍となる旨の結果を受領した。 ウ また、平成20年10月、東京電力の土木調査グループは、B教授から、貞観津波の数値シミュレーションに関する原稿を渡されたが、同年11月には、貞観津波についても、耐震バックチェックには取り入れず、土木学会の検討に委ねる方針となった。
その後、東電設計からは、貞観津波の波源モデルを用いた津波水位の試算結果が、福島第一原発でO.P.十8.6㍍〜9.2㍍となるとの結果を受領した。
エ 平成21年6月の東京電力の株主総会本部長手持資料には、福島地区の津波評価として、巨大津波に関する知見として、推本の長期評価と貞観津波について記載され、これに伴う津波を考慮すると敷地レベルまで達し、非常用海水ポンプは水没する旨が記された。
(5)浸水の影響
ア 東京電力では、かつて平成3年10月30日、福島第一原発において海水の漏えい事故が発生し、タービン建屋の地下1階にある非常用ディーゼル発電機等が水没したという事故を経験し、平成19年7月に発生した新潟県中越沖地震では、柏崎刈羽原発1号機の消火用配管の破裂による建屋内への浸水事故を経験していた。
イ 海外では1999年(平成11年)12月のフランスのルブレイエ原子力発電所の浸水事故、2004年(平成16年)12月のスマトラ島沖地震の津波によるマドラス原子力発電所2号機の非常用海水ポンプが水没する事故が発生していた。 ウ スマトラ島沖地震の津波によるマドラス原子力発電所の事故や平成17年8月に発生した宮城県沖地震を受け、保安院と独立行政法人原子力安全基盤機構は、平成18年1月以降、設計上の想定津波水位を超える津波が襲来した場合の原子力発電所の設備・機器等に与える影響等を把握すること等を目的として、内部温水・外部溢水勉強会(以下「溢水勉強会」という。)を継続的に開催した。東京電力の土木調査グループの担当者らも溢水勉強会に参加した。
エ 平成18年5月11日に開催された第3回溢水勉強会では、福島第一原発5号機において敷地高を1㍍超える高さ(O.P.十14㍍)の津波が無制限に襲来した場合には、非常用電源設備や各種非常用冷却設備が水没して機能喪失し、全電源喪失に至る危険性があることが明らかとなった。
(6)以上よりすれば、当時の知見として、推本の長期評価やそれに基づく想定津波水位の試算結果、貞観津波やそれに基づく想定津波水位の試算結果が重要であったといえる。ただし、これらはその信頼度等が必ずしも高いとはいえず、その取扱いについては意見が分かれていたことは否定できない。
もっとも福島第一原発に10㍍の敷地高を超える津波がひとたび襲来した場合には電源喪失による重大事故が発生する可能性があることはその時すでに明らかになっていた。
2 津波、原子力発電所事故についての予見可能性
(1)以上見てきた当時の知見を前提として、津波、原子力発電所の事故(以下「原発事故」という。)についての具体的な予見可能性について検討する。
(2)まず、推本の長期評価は、福島第一原発において想定される地震による津波水位を超えて津波が発生する可能性が一定程度あることを示してはいるものの、データとして用いることのできる過去の地震に関する資料が必ずしも十分にないこと等の限界があることから、専門家の間では意見が分かれていたことも事実である。
しかしながら、推本の長期評価は権威ある国の機関によって公表されたものであり、科学的根拠に基づくものであることは否定できない。加えて、これまでの我が国の地震による災害の歴史、殊に、平成7年1月に発生した阪神・淡路大震災の際は、かかる知見が十分に生かされなかったことが地震による被害を大きくしてしまったとされており、その反省に鑑みると、大規模地震の発生について推本の長期評価は一定程度の可能性を示していることは極めて重く、決して無視することができないと考える。
(3)もとより、自然災害はいつ、どこで、どのような規模で発生するかを確実に予測できるものではない。過去に発生した幾多の自然災害がそれを物語っており、災害の規模も実際には想定外のものが起きていることは我々自身が経験しているところである。
また、原発事故についていうならば、1986年(昭和61年)4月に発生した旧ソビエト連邦のチェルノブイリの原発事故の事例は大きな教訓とされなければならない。すなわち、原発事故は、ともすると放射性物質を大量に排出させ、その周辺地域を広範囲に汚染することで、多くの人々に多大なる被害を及ぼしてしまう。さらに、放射性物質が大気中に大量に排出されると、半径数十㌔㍍以上の地域が放射能で汚染されてしまうことになり、そうなると長い期間そこには何人も出入りすることができなくなってしまう。加えて、放射能が人体に及ぼす多大なる悪影響は、人類の種の保存にも危険を及ぼす。
原発事故は、ひとたび発生してしまうと事故が発生する以前の状態を取り戻すことが非常に困難で、取り返しのつかない極めて重大な事故であることから、過酷事故とも言われている。
(4)このような原発事故の恐ろしさは、我が国でも認識されるところとなっている。
伊方原発訴訟最高裁判決(最判平成4年10月29日)では、原子炉設置許可の基準の趣旨について、「原子炉が原子核分裂の過程において高エネルギーを放出する核燃料物質を燃料として使用する装置であり、その稼働により、内部に多量の人体に有害な放射性物質を発生させるものであって、・・・(中略)・・・原子炉施設の安全性が確保されないときは、当該原子炉施設の従業員やその周辺住民等の生命、身体に重大な危害を及ぼし、周辺の環境を放射能によって汚染するなど、深刻な災害を引き起こすおそれがあることに鑑み、右災害が万が一にも起こらないようにするため」であると判示されている。
また、前記のとおり、平成18年9月19日、安全委員会が旧指針を改定して策定された新指針では、津波について、原子力発電所の設計においては、「施設の供用期間中に極めてまれではあるが発生する可能性があると想定することが適切な津波によっても、施設の安全機能が重大な影響を受けるおそれがないこと」とまで明記されるようになった。
これらに共通して言えるのは、原発事故が深刻な重大事故、過酷事故に発展する危険性があることに鑑み、その設計においては、当初の想定を大きく上回る災害が発生する可能性があることまで考えて、「万が一にも」、「まれではあるが」津波、災害が発生する場合までを考慮して、備えておかなければならないということである。
このことは原子力発電に関わる責任ある地位にある者にとっては、重要な責務といわなければならない。
(5)さらに、原子力発電所の浸水事故が電源喪失という事態を招く危険性があることは、前記のフランスのルブレイエ原子力発電所の事故、スマトラ島沖地震の津波によるマドラス原子力発電所の事故という海外の事例に加え、東京電力自体が、平成3年10月の福島第一原発1号機の海水漏えい事故、平成19年7月の新潟県中越沖地震による柏崎刈羽原発での原子炉建屋での事故をもって経験している。
そして、平成18年1月より継続的に開催された溢水勉強会では、その第3回において、原子力発電所の想定津波水位を超える津波が襲来した場合、ついには全電源喪失という最も危険な状態に至る可能性があることが示された。原子力発電所に事故が発生した場合、原子力発電所を「止める、冷やす、閉じ込める」ことは原発事故を食い止めるための基本であり、そのためには電源喪失という事態を絶対に招いてはならない。電源喪失は、原子力発電所の炉心損傷、建屋の爆発等を経て、ついには放射性物質の大量排出という重大で過酷な原発事故を招く危険性がある。
(6)以上よりすれば、推本の長期評価の信頼度がどうであれ、それが科学的知見に基づいて、大規模な津波地震が発生する一定程度の可能性があることを示している以上、それを考慮しなければならないことはもとより当然のことというべきである。東電設計の算出した、福島第一原発の敷地南側のO.P.十15.7㍍という津波の試算結果は、原子力発電に関わる者としては絶対に無視することができないものというべきである。そもそもこの試算結果は、推本の長期評価に基づいており、少なくとも福島第一原発の建屋が設置された10m盤を超えて浸水する巨大な津波が発生する可能性が一定程度あることを示している。そして、東京電力自体が過去に2回の浸水、水没事故を起こしており、土木調査グループの者らが参加していた溢水勉強会を通じて、福島第一原発の10m盤を大きく超える巨大津波が発生すると、浸水事故を発生させ、全電源喪失、炉心損傷、建屋の爆発等を経て、放射性物質の大量排出という事態を招く可能性があることも示している。
したがって、当時の東京電力において、推本の長期評価、東電設計の試算結果を認識する者にとっては、津波地震が発生し、福島第一原発の10m盤を大きく超える巨大な津波が発生することについては具体的な予見可能性があったというべきであり、それが最悪の場合、浸水事故による炉心損傷等を経て、放射性物質の大壁排出を招く重大で過酷な事故につながることについても具体的な予見可能性があったというべきである。
(7)この点、検察官は、推本の長期評価の信頼度等によれば、当時、福島第一原発の10m盤を大きく超えるような巨大津波が発生すると予見する者はなく、「行為者と同じ立場に置かれた一般通常人」を基準に考えると具体的な予見可能性を認めることができないと考えているようである。
しかしながら、ここでいう「行為者と同じ立場に置かれた一般通常人」とは、本件に関していえば、原子力発電所の安全対策に関わる者一般を指していることになる。すなわち、原子力発電という非常に危険性の高い、極めて特殊な技術に関わる、高度な知識を有する者たち一般を意味していると考えられる。前記のとおり、原子力発電に関わる責任ある地位にある者であれば、一般的には、万が一にも重大で過酷な原発事故を発生させてはならず、本件事故当時においても、重大事故を発生させる可能性のある津波が「万が一にも」、「まれではあるが」発生する場合があるということまで考慮して、備えておかなければならない高度な注意義務を負っていたというべきである。当時の東京電力は、原子力発電所の安全対策よりもコストを優先する判断を行っていた感が否めないが、ここでの原子力発電に関わる責任ある地位にある者のあるべき姿勢としては、コストよりも安全対策を第一とする考え方に基づくべきである。したがって、ここでの「行為者と同じ立場に置かれた「一般通常人」というのも、コストよりも安全対策を第一とする、あるべき姿に基づいて判断すべきものであり、当時の東京電力の考え方自体を一般化するべきではない。
(8)また、検察官は、本件地震は、推本の長期評価をも上回る想定外のものであり、ここまでの津波について具体的な予見可能性はなかったのではないかと考えているようである。
しかしながら、過失を認定するための結果の予見可能性とは、当該予見に基づいて結果回避のための対策を講じる動機付けとなるものであれば足りると考える。ここでは、少なくとも10m盤を大きく超える、当時の状況においては何らかの津波対策を講じる必要のあるような津波の発生についての予見可能性があればよいと考える。
3 被疑者らの予見可能性
(1)被疑者勝俣恒久(以下「被疑者勝俣」という。)は、平成14年10月から東京電力の代表取締役社長として、平成20年7月からは東京電力の代表取締役会長として、同社の経営における最高責任者としての様々な重要な経営判断を行ってきた。
被疑者武黒一郎(以下「被疑者武黒」という。)は、平成17年6月から東京電力の常務取締役原子力・立地本部長として、平成19年6月からは東京電力の代表取締役副社長原子力・立地本部長として、同社の原子力担当の責任者として原子力発電所に関する知識、情報を基に実質的経営判断を行ってきた。
被疑者武藤は、平成17年6月から東京電力の執行役原子力・立地本部副本部長として、平成20年6月からは東京電力の常務取締役原子力・立地本部副本部長として、平成22年6月からは東京電力の取締役副社長原子力・立地本部長として、同社の原子力担当の責任者として原子力発電所に関する知識、情報を基に技術的事項に関して実質的判断を行ってきた。
被疑者ら3名は、いずれも福島第一原発の運転停止又は設備改善等による各種安全対策に関する実質的判断を行う権限を有しており、福島第一原発の地震、津波による原子力発電所の重大事故の発生を未然に防止すべき業務に従事してきたものである。
(2)前記のとおり、東京電力では、平成21年6月には耐震バックチェックの最終報告を行い、それを終了させる予定であったところ、平成19年11月ころ、土木調査グループにおいて、耐震バックチェックの最終報告における津波評価につき、推本の長期評価の取扱いに関する検討を開始し、関係者の間では、少なくとも平成19年12月には、耐震バックチェックにおいて、長期評価を取り込む方針が決定されていた。
また、平成20年2月16日に実施された地震対応打合せでは、被疑者らに、東電設計のO.P.十7.7㍍以上に上昇する可能性があるという試算結果が報告され、それに関する資料も配付されていた。この打合せには、被疑者ら3名が出席していたことは前記のとおりである。
(3)その後、平成20年3月18日には、東電設計から、推本の長期評価を用いた最大値O.P.十15.7㍍の試算結果が出されたが、その後も被疑者らの出席する地震対応打合せは回を重ねて実施されていることからすれば、被疑者ら3名は、平成20年3月18日以降のいずれかの時点において、推本の長期評価とそれに基づく試算結果について報告を受けていることが強く推認される。
特に、被疑者武藤は、平成20年6月には、この報告を受けていることは前記のとおりであり、被疑者武藤はこれを認める供述をしている。
被疑者武黒についても、平成20年6月に被疑者武藤が報告を受けていることからすれば、それと近い時期には同様の情報を認識するようになったと考えられるが(被疑者武藤は平成20年8月に被疑者武黒に報告した旨供述している。)
被疑者武黒は、平成21年4月か5月にはこの事実について報告を受けた旨供述している。
被疑者勝俣については、出席したことが間違いない平成20年2月16日の地震対応打合せでも推本の長期評価に基づくO.P.十7.7㍍の試算結果の報告を受けた記憶がないと供述し、その後においても推本の長期評価を用いた最大値O.P.十15.7㍍の試算結果については報告を受けていない旨供述する。しかし、この地震対応打合せは、被疑者勝俣への説明を行う「御前会議」とも言われており、被疑者勝俣は、地震対応打合せについて出席できなかったときも資料には目を通していた旨供述している。そうすると、前記のとおり、推本の長期評価、それに基づく最大値O.P.十15.7㍍の試算結果いずれについてもどこかの時点で報告を受けているはずである。また、推本の長期評価に基づく試算結果によれば、浸水を避けるための津波対策を講じる必要があり、それには少なくとも数百億円以上の規模の費用がかかる可能性があり、最高責任者である被疑者勝俣に説明しないことは考えられない。さらに、平成21年6月開催の株主総会の資料には、前記のとおり、「巨大津波に関する新知見」が記載され、「参考」として、推本の長期評価のことや津波により浸水し、非常用海水ポンプが水没する事故が発生する可能性があることが記されていることからすれば、被疑者勝俣は、少なくとも平成21年6月までには推本の長期評価、それに基づく最大値O.P.十15.7㍍の試算結果について報告を受けていることが十分に推認される。
(4)被疑者ら3名は、いずれも福島第一原発において、原子力発電所の安全対策に関わる高度な知識を有する者として、福島第一原発に対する津波による事故が「万が一にも」、「まれではあるが」発生した場合にも備えておかなければならない責務を有している。そうすると、前記の報告を踏まえ、10m盤を大きく超える津波が「万が一にも」「まれではあるが」発生することについて具体的な予見可能性があり、その場合には、最悪の場合、浸水による電源喪失、炉心損傷等を経て、放射性物質を大量に排出してしまう重大事故、過酷事故が発生することについて具体的な予見可能性があったというべきである。
4 結果回避可能性、結果回避義務について
(1)推本の長期評価に基づき、東電設計において試算結果が出されてから以降、東京電力の福島第一原発では何らかの津波対策を検討する必要性が生じていた。殊に、O.P.十15.7㍍の試算結果が出されてからは、10m盤を大きく超える津波が発生する可能性が一定程度あることを考えて、浸水を防止するための対策や、浸水しても重大事故を防止するための対策を検討し、合理的な対策を講じる必要性が生じていた。
(2)この点、東京電力では、被疑者武藤が、平成20年7月31日、耐震バックチェックに推本の長期評価を取り入れるという方針を変更し、耐震バックチェックについては従来どおりの津波評価技術に基づいて実施することとし、推本の長期評価については土木学会の検討に委ねることになった。この判断は、福島第一原発の安全対策のために発生する可能性のある数百億円以上に及ぶ支出を避け、安全対策よりも経済合理性を優先して単なる先送りをしたとみられる余地があるものの、推本の長期評価の信頼度等を考え、実際にどのような津波対策を講じるのが適切か慎重に検討する姿勢だったというのであれば、そのこと自体をもって直ちにこれを誤った判断であるとも言えない。現に、関係者の供述によれば、東京電力は、土木学会の検討結果が出ればそれに基づいて津波対策は講じるつもりであったという。検察官は、福島第一原発が推本の長期評価に基づく試算結果等により何らかの安全対策を講じなければならなかったとしても直ちにそれをしなければならないような緊急性は認められなかったと考えているようである。
しかしながら、前記のとおり、自然災害はいつ、どこで、どのように発生するか確実な予測ができず、原子力発電所の安全性については、「万が一にも」、「まれではあるが」発生する津波による災害にも備えておかなければならない。そういう前提をも考慮したうえで被疑者らには、福島第一原発の10m盤を大きく超えるような津波が発生し、それによって浸水事故が生じると、最悪の場合には全電源喪失、炉心損傷等を経て放射性物質の大量排出などの重大事故、過酷事故が発生する具体的な予見可能性があった。そして、そういう前提に立つならば、いくら推本の長期評価やそれを用いた試算結果に基づいた適切な津波対策を検討するための時間が必要であったというものの、適切な津波対策を検討している間に、福島第一原発の10m盤を大きく超える津波地震が発生して、その津波により福島第一原発が浸水してしまう可能性が一定程度あったといえる以上、浸水した場合の被害を避けるために、適切な津波対策を検討している間だけでも福島第一原発の運転を停止することを含めたあらゆる結果回避措置を講じるべきだ ったのである。そして、仮に、このとき福島第一原発の運転を停止していれば、結果としては、実際に平成23年3月11日に発生した本件地震に伴う津波による浸水により炉心損傷等の重大事故が発生することは回避できたことが明らかである。
(3)そして、福島第一原発の運転を停止して安全な津波対策を検討した場合、想定される津波水位を前提にしてかなり余裕のある対策を講じることになるはずである。福島第一原発は、原子力発電所の中でも特に古く、平成12年2月に明らかとなった電気事業者連合会(以下「電事連」という。)の調査結果では、想定津波水位の1.2倍の津波が発生すれば浸水してしまうという、日本で最も津波に対する余裕が少ない原子力発電所であり、平成18年10月に保安院により耐震バックチェックの実施計画に関するヒアリングが行われた際には、津波評価につき、東京電力の福島第一原発は、設計上の想定津波水位と非常用海水ポンプとの余裕が少ないサイトがあること等の問題提起がなされていた。
実際、平成20年6月、被疑者武藤に対する報告では、推本の長期評価を用いた津波水位の最大値O.P.十15.7㍍の試算結果等を報告し、合わせて、原子炉建屋等を津波から守るために敷地上に防潮堤を設置する場合は、O.P.十15.7㍍の敷地上に約10㍍の防潮堤を設置する必要があること等が説明されていた。
そうすると、東京電力では、推本の長期評価、それに基づく試算結果を踏まえ、既に、O.P.約20㍍(10m盤十約10㍍)となるような防潮堤を設置するという対策案は上がっていたのであり、これによれば、本件地震のような規模の地震、津波についても浸水を回避することは十分に可能だったことがわかる。
(4)また、浸水を前提とした津波対策(蓄電池や分電盤を移設し、HPCI(高圧注水系)やSR弁にケーブルを接続すること、小型発電機や可搬式コンプレッサー等を高台におくこと等の措置)についても検討する余地があったことは否定できない。これらの対策は、実際には浸水した場合という非常事態において福島第一原発に関わる関係者の連携により十分な効果があるかという問題点はあるが、災害時における具体的なマニュアルの検討等により効果のある対策を実施できる余地はあったと思われる。この点、本件事故後の処理において明らかとなったことであるが、当時の東京電力には、 本件事故のような非常時に対応するマニュアル等が存在しなかった。大きな地震やそれに伴う大きな津波が発生する可能性があることが一定程度あったにもかかわらず、それに目をつぶって無視していたに等しい状況である。
いずれにしても、福島第一原発の運転を停止することや浸水した場合の対策を検討しておくべきだったというべきである。
(5)結局、東京電力の福島第一原発としては、推本の長期評価、それに基づく試算結果を取り入れて連切な安全対策を検討し、その問だけでも運転を停止することを含めた合理的かつ適切な津波対策が講じられていれば、それ以降、いつ本件地震と同規模の地震、津波が発生しても、本件事故のような重大事故、過酷事故の発生は十分に回避することができたというべきである。
したがって、被疑者らには、結果回避可能性があり、結果回避義務が認められる。
(6)この点、検察官は、当時の状況において、法令等に基づき運転停止を命じられる等の事情もなく、定期点検等でもないのに原子力発電所の運転を停止する根拠がなく、電気の安定供給にも支障が生じる可能性があるとして、原子力発電所に関わる責任のある者の行動としては、福島第一原発の運転を停止することもできなかったと考えているようである。また、当時の安全対策は確定論に基づいており、確率論に基づいて対策を講じることはまだ期待できなかったとも考えているようである。
確かに、当時の東京電力では、新潟県中越沖地震の影響による柏崎刈羽原発が運転停止の最中にあり、これに加えて、福島第一原発の運転をも停止することの影響を考えないわけにはいかない。しかしながら、いつ発生するか確実に予測することができないとはいえ、ひとたび10m盤を大きく超える巨大津波が発生したときには、明らかに浸水事故を引き起こし、電源喪失を経て炉心損傷等の重大事故に至る可能性は一定程度あったのであり、当時の原子力発電に関する安全性については、ひとたび重大事故が発生した場合の被害の甚大さから、「万が一にも」、「まれではあるが」発生する可能性のある地震、津波、災害にも対処することが求められていたのである。ひとたび発生すると取り返しのつかない事態になることが考えられる原発事故においては、検察官の考えているようなことは何の説得力も感じられない。むしろ、推本の長期評価、それに基づく10m盤を大きく超える津波の発生する可能性や浸水事故が発生した場合の被害の甚大さを予見することが十分に可能であった東京電力こそが、一定程度発生する可能性のある重大事故を防止するために、率先して福島第一原発の運転を停止することを含めた合理的な安全対策を講じるべきだったのである。福島第一原発の運転を停止することを含めた対策を講じることはできなかったという主張は、津波によりひとたび原子力発電所に重大事故が発生すると、放射性物質の大量排出による周辺地域への放射能汚染を招き、ついには人類の種の保存にも悪影響を及ぼしかねない事態に至ってしまうという事柄の重大さを忘れた、誤った考えに基づくものと言わざるを得ない。
既に本件地震が発生し、それによる重大事故、過酷事故によりどれほどの甚大な被害が発生したかということを想起しなければならない。本件地震が発生し、甚大な被害を及ぼした結果から振り返って思うのは、安全対策よりも経済合理性を優先させ、「万が一にも」、「まれではあるが」発生する可能性のある災害について予見可能性があったにもかかわらず、それに目をつぶって何ら効果的な対策を講じようとはしなかった東京電力の被疑者らの姿勢について適正な法的評価を下すべきではないかということである。
5被害者
(1)本件地震、本件事故に関し、被疑者らには業務上の過失があるが、被疑者らの過失と因果関係の認められる被害者について以下検討する。
(2)津波による浸水で死亡した2名
建屋の地下にいた作業員2名が死亡した事実が認められるが、同人らの死亡は津波の浸水によるものであり、その後に生じた建屋の水素ガス爆発や放射性物質の大量排出との関連性はない。そうすると、死亡との因果関係の有無は、本件地震が発生するまでの間に確実に浸水を回避できる防潮堤等を設置することが可能であったかどうかにかかっている。現時点においてはこの判断は極めて困難であり、起訴すべきかどうかの判断においては、やむを得ないが被害者とするのは相当でないと判断した。
(3)爆発したがれきに接触するなどして負傷した東京電力の関係者、自衛官等
建屋の水素ガス爆発により爆発したがれきに接触するなどして負傷した東京電力の関係者及び自衛官等13名がいるが、同人らの負傷については本件事故との因果関係が認められるので、同人らを披害者とするのが相当である。
(4)避難に伴う双葉病院の死亡した患者
福島第一原発から約4.5㌔㍍に位置する福島県双葉郡大熊町大字熊掌新町176番1所在の医療法人博交会双葉病院に入院していた患者のうち44名については、本件事故による放射性物質の大量排出に起因して災害対策基本法に基づく避難指示により、長時間の搬送、待機等を伴う避難を余儀なくされ、その避難の過程においてそれぞれ既往症を悪化させた結果、死亡したと認められる。したがって、同人らの死亡は本件事故との因果関係が認められるので、被害者とするのが相当である。
(5)心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症した者
心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症した疑いのある者2名が認められるが、いずれも現時点において明らかになっている事実関係からは本件事故との因果関係があると判断するのは困難である。したがって、同人らを被害者とするのは相当でない。
(6)放射線被爆による健康被害を受けたとされる者
放射線被爆した者の中に甲状腺ガンの診断を受けた者1名、甲状腺の嚢胞、結節が見られる者11名が認められたが、いずれも現時点において明らかになっている事実関係からは本件事放による放射性物質の大量排出との因果関係があると判断するのは困難である。
したがって、同人らを被害者とするのは相当でない。
よって、上記趣旨のとおり議決する。
平成27年7月30日
東京第五検察審査会